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「春雪」を読んで

片づけがなかなか進まず、合間に怠けながら読んだ本「文豪たちが書いた恋の名作短編集」の中の短編小説「春雪」の一節。

この戦争で、死ななくともいい若い娘がどれだけ死んだか。戦争中だからまだしもあきらめがよかったともいえるが、いくらあきらめようと思っても、あきらめられないものもあり、ぜひとも、あきらめなければならないというようなものでもない。死んだものには、もうなんの煩いもないのだろうが、生き残ったものの上に残された悲しみや愁いは、そう簡単に消えるものではない。

久生十蘭の短編で、親戚の娘の結婚式に招かれて、戦時中に病死したその姉の「柚子(ゆずこ)」のことを追想している、叔父の思いで、まあ、おっさんの回想だし、あたりまえのことしか書いてないようだが、ページから文字がふわっと浮かび上がるくらい新鮮に目を射たのは、私も戦争文学はずいぶん読んだと思うけど、「若い男性」じゃなくて「若い女性」の死の多さを、こんな風にとりあげた文章って、見たことがない気がしたからだ。

考えて見れば、当然「若い女性」も戦争ではいっぱい死んでいるわけで、そのことをあらためて実感した。個々の悲劇としてじゃなく、それをひとつの世代の集団の悲劇としてとらえているのが、はっとさせられた。

名も無い犠牲者として、ひかえめに清々しく生きたような、その柚子が、実は思いがけない勇敢で大胆な生をまっとうしていたことも心躍るし、多分戦後まもなく書かれたものだからか、ふだんのこういう小説では見たことがない、戦中戦後の人や世間の実情が、おっさんらしい落ち着いた調子で、さらさら書かれているのも、珍しく面白かった。戦時中に主人公の男性の会社では、飛べなくなった戦闘機を、ローラーかけて粉微塵にする仕事をしていたこととか、最後のころは戦争はしていたけれど、勝つ気もないしやる気もなくて、ただ続けていた様子とかが、すごくリアルに伝わって来て、そうだろうなあと思うし、今また戦争を始めても、きっとこうなるだろうとわかるのが、読んでて何とも言いようがなかった。

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カツジ猫