ぼくたちの、きおく(カツジ猫)
みなさん、おはようございます
けさ、ぼくは、だいせんぱいのきゃらめるさんと、にわを歩きました。
ぼくたちは、にひきとも、もう、しんでいるので、
いきものたちの、めからは、みえません。
にわは、あめあがりで、すずしくて、しずかでした。
ぼくたちが、かいぬしと、いっしょにくらしている、ちいさいいえのうえにある、
すこしおおきな、おもやには、しょだいねこの、おゆきさんや、
ほかの、しんだねこたちも、くらしているはずですが、
すがたをみたことがありません。
「いえが、ひろいから、そとにでなくてもいいし、
いまは、かいぬしが、かたづけのために、
にもつを、ひっぱりだして、ちらかしているらしいから、
しらべるのが、おもしろいんだろ」と、
きゃらめるさんが、いいました。
かわりにときどき、ぼくのしらない、しろねこや、しまねこや、
いろんなねこがきて、きゃらめるさんと、
はなをくっつけて、なめあったり、ふうふう、おこられて、
にげだしたりしています。
むかし、どこかにいってしまったねこや、
にわで、くらしていたねこが、たまに、かえってくるらしいです。
そうじゃないねこは、きゃらめるさんが、おいだしています。
ばらのはなが、さいているけど、くさもおおい、おくにわの、
いきづまりには、てつのさくがあって、
そのむこうは、いちめんのやぶで、しげったきのうえに、
あおい、あさがおが、いっぱいからみついています。
「もとは、ほそいけど、ちゃんとしたみちがあって、
かいぬしも、きやくさをかって、せいびしていたんだけどな。
もともとは、『むなかたし』のとちなんだけど、
いまは、だれもとおれないし、ねこも、あるけないぐらいだ」
と、きゃらめるさんは、いいます。
「でも、むかしは、きが、とんねるみたいにうえをおおって、
ひざしが、そのあいだからさして、したのまちも、みおろせる、
いいこみちだったんだけどな。
すこしいくと、ちょっとおおきなみちに、つながるんだが、
そこにすててあった、ふろばのすいそうに、たまっていたみずが、
なかなかいいあじで、おれはよく、のんでいた」と、
きゃらめるさんは、はなしてくれました。
「しぬまえに、おれは、どこのみずも、おいしくなくなって、
いえじゅうのみずをのもうとして、どれもまずいから、
かいぬしに、もんくをいってた。
かいぬしは、まえに、おれが、すきでよくのんでいた、
さんぽのとちゅうの、そのたまりみずまで、つれていってくれたけど、
そこのみずもやっぱりまずくて、のめなかった。
おれは、がっかりして、かいぬしにだかれて、
かいぬしのかたに、かおをふせて、かえってきた」と、
きゃらめるさんは、はなしました。
ちょっとふしぎで、「それって、きゃらめるさんは、
さんぽについて、そんなとおくまでいってたの」ときくと、
きゃらめるさんは、「それが、ふしぎなんだよな。
おれはおぼえていないんだけど、そうだったのかもしれない。
おれをだいてかえりながら、かいぬしは、
『おさんぽはきょうでおしまいか。おまえの、おうこくを、
もう、みもしないんだね』と、かおをふせている、おれに
こころのなかで、いっているのが、きこえたから」といいました。
「だから、たしかに、そのへんのけしきを、
かいぬしといっしょに、おれはみて、とちゅうで、みずをのんでたんだ。
でもなぜか、まるっきり、おぼえていない。
じぶんでも、ふしぎだよ」と、いいました。
「そういえば、ぼくも、このまえ、かいぬしのみていたしゃしんで、
せんめんじょの、しんくのなかに、はいってた。
でも、あそこには、とびあがれなかったはずだし、
かいぬしが、だいていれてくれたんだとしても、
それはぜんぜん、おぼえていない。
そんなことって、あるんだね」というと、きゃらめるさんは、
「まあ、そんなもんだろ。おれたちの、きおくなんて」といいながら、
あおいあさがおにおおわれた、さくのむこうをながめていました。
いつか、きゃらめるさんといっしょに、
そのこみちを、あるいてみたいと、ぼくはおもいました。
みずのたまったすいそうも、まだそこにあるのかな。



