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ぼくと、たなばた(カツジ猫)

みなさん、こんばんわ

かいぬしは、「きょうは、よていがひとつきえて、
いちにち、ひまだったのに、
しょうてんが、さだめられず、しごとがしまらなかった」と、
ふきげんになっています。
 なんにちもまえから、つくるよていの、ぽてとさらだも、
なかなかつくれないんだって。
 「あんな、かんたんなものを。きりょくのもんだいだよ、これは」
と、じぶんで、じぶんにはらをたてています。

でも、「たなばたがちかいから、ことしは、ちゃんと、いろがみと、
こよりで、かざりをつくろう」といっていたのに、
ひきだしのなかから、きょねんのたんざくののこりと、
きょねんかいた、たんざくを、そのままとっていたのが、でてきて、
「やった。これで、あたらしく、かいにいく、てまがはぶけた」と、
よろこんでいました。

きょねんの、はちがつに、ぼくはしにました。
 きゅうに、ぐあいがわるくなったので、
しちがつには、ふつうに、げんきでした。

だから、きょねんのたんざくにも、
「ねこのかつじが、さいこうに、しあわせないっしょうを、
おくりますように」、
 たぶん、おととしのたんざくには、
「わたしもねこも、けんこうで、ながいきできますように」
と、かいぬしは、かいています。

でも、かいぬしは、それをみつめて、
 「いまおもうと、おまえもじゅうろくさいで、としだったし、
どことなく、わかれを、よかんしていたきがする。
 だから、『まだまだげんきで』とか『いつまでもいっしょに』とか、
かけなかったんだろうな。
 だから、きっと、『さいこうに、しあわせな、いっしょうを』とか、
かいたんだ。
 なんとなく、そのときのきぶんを、おぼえている。

おまえを、へたれと、いつもわらっていたけど、
ほんとうに、へたれだったのは、わたしだったかもしれない。
 おゆきさんが、しぬまえに、るすをしなくてはいけなかったときも、
『くるしかったら、むりをしてまたなくても、いいからね』といったし、
 かわいがってくれた、じいさまと、びょういんで、さいごにあったときも、
『ようがあったら、いつでもよんでよね』といって、
どちらも、それが、さいごになった。
 『ぜったいに、まっていてね』とか、
 『あいたくなったら、いつでもよんでよね』とか、なぜいえなかったのか、
いまでも、おもいだすたび、かんがえてしまう。

しかも、さいごのそのいちねん、おまえがまだまだいきると、ゆだんして、
せいいっぱい、おもいっきり、かわいがってやらなかった。
 いまでも、ゆーちゅーぶで、
やさしく、あいてをしてもらってるねこをみると、
どうして、もっと、おまえにああしてやらなったかと、
むねが、しめつけられそうになる。
くやしくて、たまらない」と、ためいきをついています。
 たしかに、ぼくも、けっこう、どなられたり、むしされたりしたから、
そういうのをみると、ちょっと、いいきみです。
 しかえしに、かみついたり、ひっかいたりも、してやったしな。

でも、はやく、たんざくをかいてくれないかな。
 ことしは、ほかのせんぱいねこのぶんも、かいてほしいな。
 かいぬしが、はちにうえた、ささだけも、
いちじは、げんきがなかったけど、このごろの、あめで、
ものすごく、げんきに、あおあおとしているんだしさ。


 

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カツジ猫