虹と光と(1)
嵐のように重要な法案が決まって行く。私たちの生活に直結し、未来も大きく左右する法律がろくに審議もされないまま、ほとんど誰にも知らされないまま。
討論もしないままだから、当然中身や細部は欠陥だらけ、まともに使える代物ではない。
何よりも、そうやって未完成に近い法案の数々を、「一年後にまだ審議が続いていたら、原案のまま成立させる」という、町内会でも小学校の生徒会でもありえないような、非常識な手続きで決めようとする内閣、政府、首相、与党が、さまざまな疑惑、汚職、カルト政党との関わりにまみれていて、多数の議席をとった直近の選挙そのものが、無効であったのではないかと言われるガラクタ集団。知性、品性、倫理観、教養すべてが貧弱な人々で構成されているとしか見えない。
そのような人たちの手によって、そのような重要な改革がなされつづけようとしている。外国からの侵略、自然災害、原発事故にも匹敵する、これは「国難」に他ならない。
国会の審議で「首相は魚を三枚におろせるか」と与党議員が質問し、首相がそれににこやかに答弁するなど、彼らの感覚はもはや麻痺して、腐っている。すべてがもう、この世のものとも思えないほど、日本という国のルールやマナーは権力の頂上や中枢から壊れ始めた。信じられないようなことが日夜起こっている。
この始まりは言うまでもなく安倍政権だ。それはより幼稚で醜いかたちで現政権にひきつがれて拡大した。その背後には麻生太郎に象徴される、戦後を生き残って復活をめざしつづけた勢力や、統一教会をはじめとしたカルト集団が存在する。彼らの最大にして唯一の武器は金であり、これはまた、彼らの人生の最終目的、最高の快楽でもある。
三十年近く、それを見続けさせられて来た。耐えられない日々だった。スポーツ観戦や食べ歩きその他の娯楽に身をゆだね、この現実から逃避しようとする人たちを私は笑えない。私だって、そういう娯楽の数々にひたることで、ようやく息をつけたし、生き延びられた。
どこかでずっと、こんなはずではない、と思っていた。具体的なものではなく、あわあわと、どこかに漂っている希望とも幻想ともつかないものを、いつも感じつづけていた。
しばらく前から全国で起こって来た、首相と政権を批判し、退陣をうながし、改憲にあらがい平和憲法を守ろうというデモや集会、それに参加して来たこれまでにない新しい層の人たち、若者たちに、私はその希望や幻想が、初めて目に見えるものになって来たような気がしている。
それにどれだけ私が救われ、生きる力をつないでいるか、きっと、その人たちは知らない。(つづく)
