ぼくには、かんけいない、ころな(カツジ猫)
みなさん、こんばんわ
にんげんのせかいは、「ころな」でたいへんらしいけど、
ぼくには、うつらないらしいから、へいきです。
でも、かいぬしが、かかって、にゅういんしてしまったら、こまるかな。
かいぬしは、きのう、となりのひとに、
「わたしが、にゅういんしたら、ねこにえさをやってください」と、
たのんでいたけど。
かいぬしが、かえってきたとき、
ぼくは、そとのかなあみのなかの、たなにすわってまっているけど、
そうでないときは、げんかんの、まんまえの、
つくえのうえに、すわって、はいってきたかいぬしに、
「にゃあ」といいます。
かいぬしは、まえは、ぼくをだいたり、なでたりして、
「ただいまー、かつじ。さびしかったかい」とかいったけど、
このごろは、「てをあらうのがさき」といって、
ぼくに、さわらないで、かおをちかづけて、
ぼくのあたまに、くちをおしつけて、
「んーんっ」といって、きすします。
それから、てをあらいにいって、あらいおわったら、
ぼくの、ごはんをつくって、だしてくれます。
このごろは、ぼくが、おさしみを、
ほとんど、たべてしまうので、かいぬしはだまって、
おさしみについている、ねぎやさかなのかわを、
みそしるにして、ごはんとたべています。
かいぬしは、ときどき、おちこむと、
べっどに、ころがって、「ああ、もうしんでしまいたい」といいます。
「おまえをのこして、しんでも、かわいそうだから、
さきに、くびをしめて、ころしとこうか」といって、
ぼくの、くびをしめるまねをします。
やなこったい。
しにたいなら、ひとりでしねよ。
でも、だれかがみつけてくれるまで、ぼくがたべるえさを、
そのへんにおいとけよな。
きのうと、けさ、いえのまわりで、
からすが、ものすごく、さわぎました。
かいぬしが、けさ、うらにわにいくと、
おおきな、からすのしがいがあって、
はんぶん、たべられていたそうです。
おとなりのごふうふと、かいぬしは、
「それで、からすがさわいでいたのかな」
「ねこに、おそわれたのかしら」
「うらのもりが、なくなったから、まえのもりで、
なわばりあらそいをしたのかもしれない」
「ねこは、えものは、あたまからたべるとおもっていたけど、
かはんしんを、たべていたなあ」
「においもしないから、わからなかった」
「とりは、ほとんどが、はねだから、
くさるにくもないんでしょう」などと、はなして、
みなで、もりあがっていました。
かいぬしは、さいきん、じむにもいかないから、
えくささいずがわりに、あなをほって、
からすを、うめてやろうかとおもっているらしいです。
「あんなに、おおきいから、ねこにやられたりはしないとおもうけど、
とりめ、というぐらいで、よるはみえないから、まけるのかな。
ねこは、よるのほうが、よくみえるんでしょ」と、
かいぬしは、ぼくにききました。
ぼくの、めは、ちゃんと、かめらみたいに、しぼりがあって、
よるには、まるく、おおきくなるんだもんね。
すごいだろ。
このしゃしんは、ぼくが、のばしたてを、まげているのが、
かわいいといって、かいぬしがとったしゃしんです。
「しゃしんにすると、なぜかかわいさがわからないな」と、
かいぬしは、ざんねんがっていました。