ぼくの、のこりもの(カツジ猫)
みなさん、こんばんわ
ぼくは、いきているとき、おさしみがすきで、
ごはんのときに、よく、かいぬしから、わけてもらっていました。
とくに、しろみさかながすきで、
そのなかでも、「ふく」がいちばんすきでした。
かいぬしは、ぼくにるすばんをさせるとき、
みてくれるひとに、たのんで、れいぞうこのなかの、おさしみを、
だしてくれるようにしていました。
ぼくが、「ふく」のさしみを、たべるとき、
よろこんで、ぶるぶるっと、ふるえるのを、みて、
そのひとは、いんしょうてきだったのか、
かいぬしに、「みぶるいして、たべてましたよ」と、おしえて、
ふたりで、わらっていました。
「ふく」が、すーぱーにないときは、
「たい」とか「いさき」とか、にたものを、かってきてくれました。
でもやっぱり、「ふく」がいちばんすきだったので、
ときどき、ほぼぜんぶ、ぼくが、おさしみをたべてしまって、
かいぬしは「あーあ」と、ためいきをつきながら、のこっている、
ぱっくについている、「つま」だけを、おつゆにいれて、たべていました。
ぱっくには、おしょうゆもついていたけど、
それは、べつのりょうりに、つかうからと、
れいぞうこに、しまっていました。
そんなことがおおかったから、その、おしょうゆのちいさいぱっくが、
いっぱい、たまってしまっていて、
かいぬしは、ぼくがしんだあと、それをきゅうりとかにかけながら、
「そうか、これからはもうちゃんと、わたしは、さしみをたべられるから、
しょうゆもつかうから、これいじょう、ふえることはないわけだ」
と、あんしんしたように、いっていました。
だんだん、そのしょうゆのぱっくも、すくなくなって、かいぬしは、
「いつか、ぜんぶなくなったら、またひとつ、おまえののこりものが、
このいえから、きえるってわけか」と、いっていました。
でもまだしばらくは、あるようで、
「まったく、どれだけ、わたしはおまえに、
さしみをとりあげられていたんだろうね」と、
じぶんでも、あきれているみたいでした。


このまえ、くろねこのあにゃんさんと、にわにいるとき、
そのはなしをしたら、あにゃんさんは、
「のこりものといえば、ぼくたちは、
きゃらめるさんの、のこりものをたべて、そだったんだよ」
と、おしえてくれました。
あにゃんさんは、のらねこのおかあさんが、
かいぬしのいえのにわで、こどもをうんで、そだてていた、
よんひきの、うちのいっぴきだったそうです。
そのころ、きゃらめるさんは、もうしぬまえで、
ごはんもあまりたべなくて、のこすので、
かいぬしは、それを、にわにおいてくれて、
あにゃんさんたちは、それをたべていたそうです。
きゃらめるさんが、しんだあとで、
かいぬしは、あにゃんさんたちを、いえにいれて、
かおうとしたけれど、
「いちばんうえの、にいさんは、もう、はしれるようになっていて、
どこかににげてしまった。ぼくたちさんびきだけが、
いえにいれてもらって、かいねこになったんだ」と、
あにゃんさんは、いいました。
「おかあさんも、まっくろだったの」ときくと、
「ちがったようなきがするけど、もうおぼえていない。
やっぱり、にげて、どこかにいってしまった。
にげてしまったにいさんも、あとのさんびきも、
ぼくたちこねこは、みな、まっくろだった」と、
あにゃんさんはいいました。
さんびきのうちの、あにゃんさんが、びょうきでしんで、
「なっつう」さんは、どこかにいってしまい、
いっぴきだけおんなのこだった「ばぎい」さんは、
だいぶながいきしたけど、もうしんで、
「ひぎょくまゆみ」のきのしたに、うめてもらっているそうです。
「きみのおはかも、さがさなくちゃね」と、ぼくがいうと、
あにゃんさんは、「かいぬしも、ぼくも、
ばしょをよくおぼえていないし、
なっつうのおはかもないんだから、
このいえにくらせるし、べつに、いいよ」と、いいました。
なっつうと、ばぎいのなは、「じゃんぐる・ぶっく」というほんから、
とったらしいです。
あにゃんは、「だるたにゃん」のりゃくで、
「さんじゅうし」というほんに、でてくるなまえだそうです。
「りっぱな、なまえじゃないか」というと、
あにゃんさんは、「うん。ふたつとも、こどものころから、かいぬしが、
とてもすきだった、ほんらしい」といって、うれしそうでした。