ぼくは、なぞのねこ(カツジ猫)
みなさん、こんばんわ
かいぬしは、おとまりをして、かえってきたときなどに、
「わたしが、るすのあいだ、いったいなにをしていたの」
と、ぼくをだいて、ききたがります。
「ねていたのかな。
ねずみと、あそんでいたのかな。
おそとで、わたしをまってたのかな。
さびしかったのかな。
おこってたのかな」
などといっては、ぼくのかおや、からだをてんけんしています。
「ひとつわかるのは、めのふちが、よごれてなくて、
きれいになってることだねえ。
ということは、おまえ、ひまにまかせて、
せっせと、おけしょうしているのかい。
それは、たいへん、いいことだよ」
といって、ぼくをほめます。
いなかのいえの、かたづけは、
ちょっと、いちだんらくしたみたいで、
かいぬしは、「こんどは、こっちのおうちをかたづけないとね」
といっています。
せっかく、いえにいられるようになったんだから、
うえのいえに、いって、かたづけをしないで、
ぼくのいる、このしたのいえで、
しごとをしたらいいのにな。
とおくにいっていないのは、
まだあきらめがつくけども、
すぐ、うえのいえにいて、
ほっとかれるのは、つまらないです。
このしゃしんは、おにわの、かなあみのなかから、
ぼくが、そとをみているところだけど、
かいぬしが、うえのいえにいってると、わかると、
ぼくは、いつも、ここにきて、
うえのいえの、げんかんのほうをみて、
にゃあにゃあ、なくことにしています。
「ごきんじょめいわくだって、いってるでしょ」と、
かいぬしは、こわいかおをしながら、もどってくるけど、
そのあとで、いつも、おやつや、おさしみをくれて、
「こんどは、しずかに、おるすばんするんだよ」
と、いいます。
ぼくは、あいてにしないで、
たべることに、しゅうちゅうしています。
このごろ、ぼくは、まいばん、
かいぬしが、しごとをしている、
いすのあしもとで、ねています。
「おまえ、それは、がいこくのえいがかなんかで、
おおきないぬが、ごしゅじんのいすのよこで、
ねている、あのかんじじゃないか。
ねこのする、ぽーずじゃないけどな」
と、かいぬしは、わらいます。
いすは、かいてんいすなので、かいぬしは、
「うっかり、うごかしたときに、
なにかのはずみで、おまえをしきそうで、こわいのよ。
こんなのの、したじきになったら、いちころだろうに。
すぐよこに、おなじいすがあるのに、
どうして、そこでねないの。
じっさい、まえには、そこで、ねていたくせに」
と、もんくをいっています。
でも、らぐのうえは、きもちがいいし、
なんか、ここが、すきなんだよな。