ぼくは、うれっこ(カツジ猫)
みなさん、おはようございます
これは、かなりふるいしゃしんです。
かいぬしは、このごろ、しゃしんのせいりをしていて、
「わあ、おまえ、むかしのほうが、いいおとこだったんじゃないの」
と、ぼくのむかしのしゃしんをみて、いっています。
かいぬしの、しゃしんのうでか、かめらかが、
おとろえてきたんじゃないかとおもうけど。
ぼくは、あいかわらず、かいぬしの、まくらのうえを、
ねばしょにきめて、ししゅしています。
だけど、よなかになったら、さむくなるから、
かいぬしの、かたのところにいって、ふとんに、もぐります。
かいぬしが、おきないときは、
そのまま、くびにくっついて、ねます。
かいぬしは、あさおきて、ぼくが、くびにくっついているのをみて、
「えりまきみたいで、よろしい」といいます。
ぼくは、このごろ、かいぬしの「ふぇいすぶっく」にも、
ときどき、かおをだしています。
かいぬしは「きんどる」で、だしたほんにも、
ぼくが、もでるの、すけっちを、ひょうしにつかいました。
いろいろ、かおがうれて、いそがしいです。
このまえ、ぼくの、だいせんぱいの「きゃらめる」さんのめいにちで、
かいぬしは、はなや、おそなえをかってきて、
いそがしくしていました。
「きゃらめる」さんは、もうしんで、にじゅうねんになるけど、
かいぬしは、このじきになると、おもいだして、
なんとなく、おちこむそうです。
たんに、かふんしょうになりかけているからじゃないかとおもうけどな。
はやく、くすりをのめよ。
おそなえに、かってきた、きゃらめるさんのこうぶつの、
「かわはぎ」も「あまえび」も「のり」も、
ぼくはあまり、すきじゃないから、
かいぬしが、ひとりで、たべていました。
でも、「きゃらめるのいたころは、こんなのなかったからなあ」といって、
「ちゅーる」をなんぼんも、かってきていたので、
あれは、ぜんぶ、ぼくがたべよう。
かいぬしは、いそがしかったので、「かわはぎ」をかいわすれていて、
「いつもは、いっしゅうかんもまえから、さがしておくのに、
ことしはもう、あきらめるか」といっていましたが、
すーぱーにいったら、すみっこに、いっこだけ、
「かわはぎ」のぱっくがあったそうで、
「これで、こんげつのうんは、つかいはたしたかもな」といいながら、
おおよろこびで、かってきて、にていました。
きゃらめるさんは、ぼくとちがって、なまざかなをたべると、はくので、
すきなおさかなでも、かいぬしは、にてあげていたそうです。
きゃらめるさんは、「おひさまのにあうねこ」といわれていて、
にわをあるくと、けがわが、きんいろにひかっていたそうです。
おてんきがわるいひがつづいていても、めいにちには、
しんだ、あさの、じかんになると、
かならず、おひさまが、さすので、
かいぬしは「さすがやなあ」といっていましたが、
このごろ、すうねんは、くもったままだったりするので、
かいぬしは、「あいつももうそろそろ、うまれかわったのかな。
にじゅうねんにもなるもんなあ」といっていました。
そして、ぼくのかおをみて、
「おまえがしんでも、わたしはそのあと、にじゅうねんも、
こうやって、めいにちのおそなえは、できないとおもうから、
すぐに、うまれかわるんだよ」といいきかせました。
いわれなくても、そのつもりだけど、
なんかいかは、ちゅーるや、ふぐさしを、
おそなえされてみても、いいかな。