まだ見ぬ部屋。
◇来週あたり田舎の家から、大きな家具を運んで来る予定なのだが、それを入れたときにいろんな部屋がどうなるのか、いろいろとシミュレーションするのに疲れ果て、結論としては実際に入れて見ないとどうなるかわからないという感じである。寸法とかは必死で測って来ているのだが、それだけではすまない、おいて見たときの感じというものがあって、これは相当にイメージトレーニングしても、やっぱり今ひとつ見当がつかない部分があるのだ。
とにかく老後にそなえて、家具は小さく軽いものばかり、部屋はなるべく広い空間を確保することにしている。しかしベッドを入れた部屋の周囲のドアは細くしか開かないので、ここばっかりはどうしようもない。さっきもいったん奥の部屋に入れていたダイイングじゃなかったダイニングテーブルを手前の部屋に持ってくるのに、しょうがないからスパナで脚を外して解体した。ははは。
◇私がそんなことにかまけている間に、川内原発の再稼働を市議会は認めそうだし、国会ではうちわやDVなどと些末とは言わんが問題はそこじゃないだろ、人種差別を公然と認める団体と関係があるような閣僚や、閣議決定で日本の将来を決めちまおうとかする首相やに対して、うちわの暴力のと攻撃するのは、泥棒や強盗に土足で家に上がったと責めてるようなもんじゃないかと言いたくなるような論戦がくりひろげられていて脱力する。小渕さんの金の使い方も間抜けすぎるが、だいたい政党助成金と財界の献金を両方もらうのを平気で認めさせようとしている内閣にそんなこと今さら言ってもなあ。
と言う考え方も実はまちがいかもしれないけどね。昔ピーター・オトゥールとオマー・シャリフが出た「将軍たちの夜」って映画じゃ、たしか戦時下での殺人事件の犯人を厳しく追及するみたいな場面があって、大量殺人が戦争の名のもとに公認されている中で、たかが一人の売春婦かなんかの死を捜査することのアンバランスさと大切さが伝わってくる映画でもあった…ような気がする。記憶がおぼろなんだけど。
◇まあ今日の毎日新聞で与良記者か誰かが書いてたのは、民主党もやっと総理の、格差を助長し、強者や勝者を大事にすることで豊かな世の中をめざそうとする根本姿勢そのものを批判しはじめたのは、いいことだということで、それが本当ならそれはたしかにそうだろう。
何度か書いたが、富める者を優遇してその結果貧しい者を救うという発想は、貧しい者だけじゃなく、実は富める者にとってもすごくきつい。というか、ものすごく質の悪い低級な富者や強者や勝者を作ることにもつながる。
強者や勝者や富者は、貧しく弱い者のために自分を犠牲にして、それらをひきずって進むことで強さや勝利や富の毒から守られている。それがなくなった時、力や富は自家中毒を起こして腐って滅びる。そこの理屈もわからんのは、結局勝利や富を手にする価値のない愚者や弱者にすぎない。
◇さて、ばらんばらんにした机を組み立てるかな。先日田舎に帰ったとき、家を貸している若い人と夜空を見上げて星がきれいだねと感心したのだが、今夜はここでも星がまばゆく美しい。日に日に寒くなるので、猫たちの寝床に毛布を追加して入れてやらないといけない。