まったく何ちゅう効率の悪さ。
◇「ディボース(離婚)」という新作DVDの返却期限が昨日までだったのを忘れていて、今朝の10時までにコンビニのポストに放りこまないと、延滞料がバカ高いので、根性で昨夜の夕方から夜中までかかって一気見した。まあどうって話ではないのだが、とにかく無事に見終わって、今朝歯医者に行く前に首尾よくポストに放りこめた。
歯医者には、定期の歯石取りに行ったのだが、歯磨きがよくできていて歯茎の状態もいいとほめられた。だろうさ、ベッドにころがって磨いている内、寝てしまったりするぐらい時間をかけちゃってるんだから。
◇8月もなかばを過ぎたので、俄然あせっている。家の片づけや生活上の雑事は何となくペースができているのだが、そこに勉強の時間をなかなかうまく織りこめない。人とのつきあいや外出を制限して、読書や原稿書きに精を出そうという、生活の体質改善をしようとしているのだが、難しい。
「壺石文」という東北の紀行文が面白いので翻刻しようかと思ったら、すでに皇学館大学の先生がなさっていた。それはいいのだが、私の持っているコピーは東北大学所蔵のものだが、その先生の翻刻は静岡の富士市の富士文庫所蔵のものだ。国書総目録には東北大学のしか載ってない。まあそういうことはよくあるので、翻刻のコピーと東北大学の原本のコピーを見比べて、どのくらい異同があるかチェックしていた。
江戸時代の写本は、嘘だろうと思うくらい正確に書写されているものもあれば、ものすごく異同があるものもある。これは漢字と仮名がちがうぐらいで、ほとんど差がなく、ただ翻刻というものは、私がやっても誰がやってもそうだが、どうしても何か所かのミスは出る。翻刻は一か所でもミスがあったら、まったく価値はないと私は学生や後輩に教えるし、実際そうだし、その意気で厳しくチェックするが、それでもミスがないのは珍しい。この翻刻は、とてもきちんと正確なようだが、ときどき、?というところはあって、富士文庫の原本を確認したいなあという気持ちになることはあった。
しかし、私は別にこれで論文を書くのではなく、序文を書いてる片岡寛光がやたらほめてるので、そういう紀行文の評価の基準の一例としてあげるだけで、ましてや富士文庫と東北大の写本が大幅にちがっているならともかく、ほとんど差がないのであるからして、「両者の間には漢字と仮名の表記などの些細な差があるが、内容はほぼ同じである」の一行さえ書ければいいのである。最後まで眼を通して、それさえ確認できればいいと思うから、けっこうだらだら仕事をしていた。やたらめったにちがいがあったら、まだ緊張するが、ほとんど差がないから、高速道路を走るように退屈なのもあって、なかなか進まない。
で、まあそれもようやっと終盤にさしかかって、よしよしと思っていたら、何だか残りの部分が量がちがう。はあ?と最後を確認したら、東北大学本は富士文庫本の上中下の下巻にあたる部分がすっぽり脱落していた。ぎゃあ!
それがわかったのは、まあ成果だが、となるとやっぱり富士文庫の原本のコピーが必要になってくる。翻刻だけですませる気にはなれない。
電話で注文してみたら、複写を送ってくれるとのことで、さっそく料金をそえて申しこんだ。数日中には来るだろう。これで翻刻の気になる部分もチェックできるからまあいいが、何にせよ、こんな仕事のペースでは、すべて、あまりに遅すぎる。家も散らかり猫も飢え人とのつきあいも断ち憲法が変わろうが日本が戦争しようが、「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」と藤原定家なみに知らん顔して、朝から晩まで仕事に打ちこんでいたら、もっとあっという間にいろんなことが片づくのだがなあ。
他にも後期の授業のテキスト作りや、かねて考えていたことの文章化とか、したい仕事は山積みで、しかし日常の家事その他もしなくてはならず、まったく頭が痛くなり、気ばかりあせる毎日だ。
◇今日はお盆休みだった、いつも行く花屋が開いたので、玄関に飾る白い蘭と、くすだまのように大きい、夢のように優しい色のピンクのあじさいを買って来て、置き床に飾った。掃除機もかけたいのだが、カツジ猫がいい気持ちそうに寝こけているので、ついかわいそうで、先延ばしにしてしまう。
仏間で、線香が燃えつきるまで椅子に座って本を読むことにしているのだが、カフカの「失踪者」を読み終えた。「アメリカの鳥」のピーターのヨーロッパ体験と反対に、こっちはヨーロッパの若者のアメリカ体験。カフカの小説って、悪夢のような非現実的な世界でも、みょーにすべてがリアルなのだが、銀行勤めをしていた作者の体験もあって、現実世界をたっぷりと肌で味わっていた人なのだろうな。アメリカの見知らぬ土地での、それこそ不条理な奇妙な体験の数々が、とても現実的で、とても幻想的だ。
同じ本に入っていたクリスタ・ヴォルフの「カッサンドラ」も一度読んでたけど再読した。これはまたトロイ戦争に舞台を借りているのだが、むしろ作者が体験して描こうとした東欧の社会主義国の息苦しさが透けて見えすぎるのがつらかった。
◇とか言ってる内に日が暮れてきて、そろそろまた、夜食のそうめんをゆでるかな。これを食べるガラスの器を上の家の棚から探して来たい気もするのだが、どうしよう。