猫とアンジョルラス。
◇スー・グラフトンのミステリ、キンジー・ミルホーンシリーズ(ABCのつくやつ)で、ヒロインのキンジーはいつも冠婚葬祭これ一着という黒のワンピースか何かを常時、車に積んでて、しょっちゅうそれを着てたっけ。実は母の初盆用に夏の黒のフォーマルが見つからず、やけになって買いに行ったイオンの岩田屋で、ぴったりのツーピースに見えるワンピースがあったのに気をよくした私は、安かったのもあって、他にも黒の薄いワンピースを二着買ってしまった。たいがいバカだが、それだけ気分が煮詰まっていたのだと思うしかない。
で、その内の一着の、少しミニのひらひら軽いワンピースが、キンジーのもかくやと思うような、ボタンもリボンもいっさいない、着やすい上にちょっとドレッシーなのを、いい気分で着まくっている。昨日はそれを一着におよんで、田舎の墓とは別に、こちらのダムだか何だかの湖水を見下ろす丘の上の墓地に、これまた数年前に衝動買いした自分用の個人墓にお参りに行った。墓石には私の名と、歴代の飼い猫飼い犬の名が彫ってある。こんな墓があると、他の人に敬遠されてお隣さんが来るかしらと、建てた当時は周囲が空いていたので、私は少し心配したのだが、そんなこともなかったようで、周囲には新しい墓がびっしり出来ていた。「近くに建てたよ」とうれしそうに報告してくれた同僚の先生のお墓も、立派に完成して、一文字を墓表に大きく入れただけの、すごく洒落たお墓になっていた。
この墓地は下の方には家代々のような立派なお墓が並んでいるが、一番上のこのあたりは、たとえば若い夫婦とか、高齢の未亡人とか、もちろん普通のご家族とかが建てたような、小さいが独特のそれぞれの顔が見えるようなお墓ばかりだ。神道やキリスト教のものらしい墓もまじっている。墓標には「今日は来てくれてありがとう」とかいうあいさつや、讃美歌の一節や十字架や、いろんな色の花の模様などがあしらってあって、ある意味やりたい放題だが、楽しくて見ているとあきない。ときどき、それにまじって、昔ながらのちゃんとした墓がきちんとあるのもほほえましい。
黒いワンピースに黒の帽子というスタイルで墓に水をかけていたら、「先生!」と声をかけられて、見たら九条の会のメンバーの一人の奥さまだった。ご主人と二人でお墓参りに見えたとかで、ピンクの花模様のきれいな新しいお墓の掃除をしておられた。田舎の墓参りと言い、行くたびに誰かに会うのはどうしたことだ。ご先祖やペットたちの引き合わせなのだろうか。墓表の猫や犬の名前を説明し、私もお花のついたお墓に手を合わせてお別れした。
◇おとといだったか、猫にまつわる話題を中途半端にしていたが、ある意味しょうもない話である。「レ・ミゼラブル」のミュージカル、私は見ていて、あの早い展開で普通の人にはわかるのかと心配したと、このブログにも書いたのだが、そういう感想はひじょーに甘いシロウト考えだったかもしれない。いったい日本の若者は金持ちなのかそうでないのか、いやそういうことを言ってはいけない、好きな俳優や歌手のためなら、どんなに切り詰めてでも劇場に通うのが昔も今もファン心理なのは当然だが、もう、あれを見に来る人の多くは、とっくに何回も見てるので、筋がわかるかどうかとか、もはやそういう水準の話ではないのである。
他の人の感想も知りたくて、ネットでいろいろのぞいていたら、例の今回初めてアンジョルラスに抜擢された相葉裕樹という人(「嵐」の相葉君とは無関係だそうな)が、もともと「テニスの王子様」などに出ていたけっこう若い人に人気のある俳優だったらしく、昔からのファンは夢のようだと大感激している。それはいいが、私は知らなかったが、出演者たちは他の場面でもエキストラとして出ているので、その彼が出ている最初の方の囚人や村人になってちょろちょろしているのを「ここは、うっかり見逃すから注意して」とか、ファンどうしが教えあってるのがすごすぎる。まあ、映画館が入れ替え制ではなく、DVDもビデオも夢にも考えられなかった時代、好きな映画や俳優を見るために朝から夜中まで飲まず食わずで映画館に居座り続けた(あのね、二本立てで、まったく興味ない映画が間にはさまってたこともあるのよ)私や友人のことを思えば、いつの時代もファンとはそういうものだろうなと、その気持ちはよくわかるけれど。
それにしても、そんな大抜擢の新人にしては、そんなに悪くもなかったし、けっこうちゃんとやってたじゃないかと、本人のブログなどをのぞいてみたら「皆さんお元気ですか、僕は日々革命運動にいそしんでいます」とか書いてあって、わ、もういまどきの子やなあと笑いこけた。このノリで赤旗や革命やバリケードがミーハー層にするする浸透して行くのは、別に原作者ユーゴーの精神には矛盾しないからまったく問題ないのだけど、きっとその内共謀罪でとりしまられる対象にしたいだろうな、どこかの誰かは、とも思った。
そして、実は私の後ろの席にいた熱心なファンらしい女性二人が、「でも彼は絶対マリウスと思ってたのに、アンジョルラスなんて、えーっと思って」と言いあっていたのだが、ネットでも同じことを言ってるファンがやたらと多い。そもそも、マリウスのアンジョルラスのコゼットのエポニーヌのという名詞が、アニメの主人公かタレントの名のように普通にああだこうだと語られて飛び交うこと自体、何となく目まいがして来るのだが、まあそれはそれとして、マリウスが頼りなくてかわいらしくてうぶで恋愛にうつつをぬかすお坊ちゃんで、アンジョルラスは革命に生きる強靭な精神力の清廉潔白なカリスマリーダーというのは、もう言ってみりゃ飛雄馬と花形と伴宙太みたいに、定着しつくしたイメージらしい。
そうなのか?と思いつつネットをのぞき続けていたら、このマリウスだと思っていたらアンジョルラスだったとファンを驚かせた彼、相葉裕樹君は、猫好きでも有名らしくて、うちの初代猫のおゆきさんと同じ毛色のかわいい猫とのツーショットがあって、それを見たらなるほどマリウスねと、それも納得した(笑)。
https://twitter.com/aibatchi/status/881159125111001089
◇ただ、若干まじめというか視点を変えた話をすると、それが私が昨日「江戸時代文学史」の書棚にアップした、近世文学会のラウンドテーブルの報告にも関わってくるのだけど、アンジョルラスはもともと原作者のユーゴーが、少女のような美少年で、敵も花を撃つようだと銃を下ろしてし