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まったく気が重い。

キャラママさん。
私も女人禁制をはじめ、女性差別の問題を語るのは何かとしんどい。自分でひそかに考えるのは、けっこう面白いのだけど(笑)。

たとえば、男性だけの祭りはどうなんだ、という話ね。まあ、こんなこと言うてたら、また敵をふやしてしまうでしょうが、あらゆる差別というものは、たとえば男女差別だったら女性だけでなく、男性も苦しめているだろうなーというのが、私の実感なんですよ。

男性だけの祭り、私は見ていて楽しいし、好きでもあります。でも、私が男性で、そこに住んでいるからって、半分裸になって女性たちに見られて、一日過ごさなくてはいけないというのは、楽しくないかもしれないと思う。それが苦痛だったり不快だったりする人だって、一人もいないわけはないと思う。

まあ、私が男性なら、そのこと自体は楽しいかもしれないけど、もし、それを「あ、僕はそんなのやりたくない、いやです」と言ったら、明らかにまずくて、以後はその地域や共同体で暮らすのが、何かとぎくしゃくするような状態があるのだったら、そういうのはほぼ絶対に苦になるなー。祭りが好きで参加してるのか、参加しないとあとの暮らしがまずいから参加してるのか、区別がつかないってのが、私は絶対、好きじゃない。

でも、その一方で、そういう文化や祭りは、「参加しない人はしないでいいよ」と地域や町内があたたかく認めてくれる状態では、とても維持できないだろうなという気もするのです。
だったらそういう無形文化財?を保存するためには、結局、そういう縛りや束縛がなければならないものなのかもしれない。

ただなー。私の話はここで例によって、とんでもないとこに飛ぶのですが、少子化で子どもを生まない男性、女性が増えたって話ね、それは憂慮する事態じゃないって意見もあるから、そこんとこはよくわかりませんが、もし何とかしなければいけないのなら、まあ、した方がいいような気も私はするのですが、そういう時に思うのは、もちろん、若い人の給料が低くて、生活が安定しなくて、生みたくても生めないという深刻な問題はあるとして、どこかで私はこっそりと、「やっぱり、『子どもを生まない女(男もか)』は、人間として未熟だ、人生として未完成だ、哀れだ、幼稚だ、傷ものだ」という、言葉の攻撃シャワーがひっきりなしに浴びせられないと、まー、こんなもんかなー、という感じもするわけなんですよ。

多分、古めかしい考えで戦後の日教組教育がまちがってたから日本はこんなになったと慨嘆している方々と私は、このへんで意見が一致しちゃうのじゃなかろか(笑)。「子ども生まないと、結婚しないと、これだけ不愉快なこと言われて、ひどい目にあうぞ」と恒常的に脅迫され、潜在的にびびって、あせってるんでなきゃ、人はのんきになって、ずぼらになって、家庭や子どもは持たないんじゃないか、っていう点で。

できるかどうかはわからない、多分望み薄だろうけど、そういう方々は、もう一回昔に戻して、結婚しない、子どものいない人間は、恥ずかしくて、恐くて、みじめで、いたたまれない世の中にしたら、少子化の問題は解決するって、けっこう思ってらっしゃるのじゃないだろうか。
でもなー、歴史の歯車の中には、巻き戻せないものもけっこうあって、これはその中の一つじゃないかと思うんだけどなー、わからんけど。確信はないけど。

女のしあわせは結婚とか、子どもを持たなきゃ人間としての喜びはないとか、私もそうだが、結婚しない女(男も)は、どんだけ聞かされてきたことか。私はそれもそうだろうし、正しいとこもあるだろうと、大らかにつつましく、にっこり笑って認めているんだけど、でも、その笑顔の底で、「そんなに楽しくてすばらしくて、人間の本来の姿で自然なことなら、別に、やっきになってすすめないでも、とりわけ、しない人を脅迫していたたまれなくしないでも、もっと言うなら、するなととめても、生むなととめても、人間は結婚するし生むんじゃないのか」と思ってた。思ってただけだが、要するに、この「人間の幸せは結婚、出産」という話は、論理的に(笑)どっかうさんくさいと、ずっと感じてたから、まともに相手にしたことは心の中で一度もない。

おっと、長すぎたようなんで、いったん休憩。

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カツジ猫