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まーしかし

ちょっとの間、国会中継や日曜討論を見聞きするのをさぼってて、久しぶりに昨日ニュースを聞いたら、もうしばらく目を離してただけに自民党の劣化ぶりが一段と新鮮(笑…てる場合じゃないが)。盛山文科相(文科相だよね? まさかよりにもよってもう、とは思うがそうだよね?)答弁なんてあれ何だよ。町内会でもPTAでも家族会議でも子供会でも、あんな言い訳通用しないぞ。

いや私、実は趣味で日本神話をパロディにした、しょうもない小説をちょろちょろ長々書いて、こちらで皆さまのお目汚しをしてるんですが、これは私の寓話風自伝であるとともに、あんまり日本や世界の、いろんな成り行きがひどいから、せめて物語と空想の中では、少しはちゃんとした支配者や人物も登場させて、読者とまでは行かずとも、せめて自分だけでもまともな感覚を保つよすがにしとこうとしてるふしもあるわけですが。

こんなこともある(水の王子覚書15)

たとえば、「山が」の中で、ネノクニの都の支配者だったスサノオが、政治から身を引いてひっそり暮らしてるのとか、同じ都でそこそこ成功して富裕層になってるフナドが自分たちだけ恵まれてるのをちょっと苦にして少しでも他人を援助しようと心がけてるのとか。多分、昔はそこそこ少しはいたのですよ、そんな支配者も富裕層も。日本にも中国にも今のロシアの旧ソ連にも。

しかしまあ、こういうのって全然うまくは行かないもので、感想をよく下さるありがたい読者のお一人から「スサノオの描写でプーチンを連想した」と言われたときには、ショックで熱出して寝込みそうになったけど、まあ作者の意図の伝わらなさなんて、そんなもんです(笑)。教師の教えることが伝わらないのとどっちだろうか。

今だって、主人公たちの住む村を津波が襲う設定の「沖と」を、不謹慎にならんだろうかとびくつきながら書いてる理由というかパワーの一つは、あまりにひどい現実の政府や首相や富裕層の被災地対策に、せめてこのくらいできないのか私ならこのくらいは考えると、怒りに震えながら書いてしまう書かずにいられないってとこもあるわけですが。

しかしもう、盛山大臣や首相の言うことすることしないこと(笑)を見ていると、この現実のありえない、あんまりなひどさが、どんな精密でとほうもない空想を描いてもそれで追っつかないほどにひどい。私たちはまったく何を見せられているんだろう。茶番劇の域をとっくに超えている。

ゆうべのおかずは、ぎょうざとナマコでちょっと豪遊した。お金持ちになった気がしたわー。

写真は私がそれはもうちっちゃいころに、田舎の家で飾っていたおひなさま。今年はどこに飾るか、今思案中。

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カツジ猫