めりはり。
◇あはは。と笑ってる場合じゃないんですけど、いいセンスですね。総理官邸前で、とにかく怒りをぶつけることに集中しようという抗議行動。めりはりのつけ方が最高です。
◇今日はささいなお仕事を二つすませた。
ひとつは、母の葬儀に香典を下さった町内会へのお返しはしなくてもいいかどうかを、葬儀屋さんに確認したこと。最近では誰もなさっていないので、しなくていいだろうということで、これで香典のお返しは一応全部終わったかな。
もうひとつは葬儀屋さんが撮ってくれた葬儀のビデオ?を、母のいた施設の皆さんに見ていただこうと、預けていたのを忘れていて、あわてて受け取りに行って、もらってきたこと。この前、ケーキ屋さんで見た、ものすごくかわいい桜の模様のバウムクーヘンを誰かに買いたかったので、それをお土産に持ってって、上げてきた。
玄関の受付のところで引き返したのだけど、母のいたころと変わらない、廊下附近のたたずまいが、なつかしくて、時間が戻って行くようで、二階に上がったら、母がまだいるような気がした。
母の部屋で使っていたのを、もらっていただいた、私がイケアで買った白い水差しや、もともとは叔母の家にあった誰かの手作りみたいな花瓶が、玄関の棚や下駄箱の上にあって、ユキヤナギや季節の花がいっぱいにさしてあって、あたりにしっくりなじんでいたのも、何だか笑いたいほどうれしかった。
宗像市には、わりとたくさん、こういう施設がある。母を急遽田舎からこちらに引き取ろうという時に、大急ぎでいくつも施設を見て回った時、どこもそれなりによかったが、この施設の、ちょっとゆるくて、のんびりした雰囲気が好きで、あっという間に決断した。それからもずっと、その直感はまちがっていなくて、私は満足していたのだが、こうして久しぶりに訪れてみると、あらためて私と肌があった施設だったなとつくづく感じる。ただよう空気が同じ組成のように、身体にふっとまつわって、とけこんで来る。母の一部はたしかにまだ、この建物にとどまって、くつろいでいるのにちがいない。
でも、この施設との関わりも、これでどうやらおしまいで、当面もう来ることもないだろう。今でも近くを通ると、あっ、行かなくちゃと思うほど、建物も風景も私の中に刷り込まれているが、それも次第に薄れるのだろう。
私は反抗的な生徒だったし、学校そのものが好きではなかったから、卒業式の感懐なんて今思い出してもこれっぽっちもないのだけれど、普通の人はひょっとしたら、卒業式や母校に対して、こういう思いを抱くのだろうかと、ちょっと思ったりもしている。