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引用文献。

「江戸名所図会」に片岡寛光が序文を書いてるので、一応写しとこうかと手持ちの本を開いたら、これ、大正八年刊行の古い本なので、お洒落のつもりか、序文の部分は影印(江戸時代の変体仮名のまま)でした。
中野三敏先生が常々主張されるところの、「皆、変体仮名を読もう!」はもちろん大賛成で、それなりに宣伝もしてる私だし、もちろん資料は常に変体仮名で読んでいるけど、ただ、名所図会の序文の字って、気取ってるのか、やたらのたくっていて読みにくいんですよ。これもきっとそうだわ。うー。

それで逃避でもないけど、その前の大正八年の原田幹の序文を読んでいたら、これがやたら面白い。斎藤家三代にわたって、この名所図会は編まれるのだが、父の遺稿が一冊行方不明で探していた二代目の友人が寛光で、彼がたまたま知り合いだった寺の坊さんが、「以前うちに取材に来た学者が、本を忘れて行って、誰かわからないから返せないんですよー」と言ったので、「それはきっと」と寛光が、その本をもらったら、果たしてその失われた初代の原稿で、二代目は大喜びしたとか、絵を受け持った長谷川雪旦がある寺の仏像を写生しようと堂の中で夜明かしして寝てしまったら、夜中に羅漢像が動き出して拉致されそうになったとか、別の寺では泥棒の疑いをかけられて捕縛されそうになり、刑吏のひとりが見知ってくれていて無事にすんだとか、もう何よこれみたいな話ばっかり。本を作るのも大変だよなあ。以前、富士山の全集を出すときの資料を、関東大震災のさなかに持って逃げる途中、炎に追われて川の土手に埋めて、あとで掘りに行って回収した学者の話を読んだときも、たいがいすごいと思ったけど。

◇で、今、お茶を飲んで寛光の序文を見たら、読みやすい字で楽勝だいと、ほっとしたのもつかのま、めちゃくちゃ長い。この人、「壺石文」の序文でもそうだったけど、たかが序文に、ものすごく肩入れして大論文みたいなのを書く癖でもあんのかしら。しゃくにさわるから、時間の無駄ではあるけれど、やっぱり全部写しちゃろ。

それにしても、昨日来た若い研究者の話で、えええええとのけぞったのは、英文学の論文では最近、引用するのに、その本を全部読んでなくても引用するのらしい。その人の友人は、そんなことはしない派で、作品を精読することを基本にしているということだが、それは珍しいことのようで、本当だろうか、信じられない。

自慢じゃないが、私は「動物登場」でも、「ぬれぎぬと文学」でも、もちろん「江戸の紀行文」でも、その他すべての著作や論文で、やたらめったら引用文献が多いことが、ときどき帯の売りのキャッチコピーにもなってて、「この程度で騒ぐこと?」と不思議なくらいだったけど、もちろん、それら引用した本は、頭の先から足の先まですべて熟読したばかりか、暗記するほど愛読した本ばかりだ。それでもこれまで引用できていない本なんて、まだまだ星の数ほどある。

言っておくけど私は決して多読な方じゃない。特にこの10年近くは恐ろしいほど読んでない。それでも、授業や本や論文に引用する資料や文学なんて、困らないどころか、多すぎて困る。何が悲しゅて、全部読んでもない本を引用したりしなきゃならんのだ。一夜の街角の暗がりで、顔も見ないでキスしてそれっきりの相手を、結婚相手にカウントするより、もっとひどいんじゃないか。

自民党がよく、失言をとがめられて、「一部を切り取って何ちゃらかんちゃら」としょうもない抗弁をしてるが、聞くたびに「アホか、全体がひどかったから、その象徴でそこを指摘されてるんじゃないか」と思っていたが、全部を見ないで引用って、ほんとにあるんだな。しかも学術論文で。

と、いろいろと驚きながら「しかし何でそんなことを」と聞くと、その人いわく「今は、ある用例をしらべようとか思ったら、検索かけたら、すぐにずらっと出てくるし、逆にそれをすべて引用してなかったら、『なぜ引用してないのか』とつっこまれるらしいです」だって。まだ信じられない。ほんとに、アホか。
まあどっちみち、私の場合は、それだと、これまで誰も見ていない資料は、全然検索にひっかかるわけないから、何の役にも立たないけど。私の専門の江戸の紀行なんて、多分明治以降では私が初めて見るようなものばっかりなんだから。

いやもう、何かどっかまちがってるよなあ。パソコンや検索の使い方というものが。しかも学問や研究の世界で。

◇昨日、上の家の居間を片づけたので、ちょっとだけ気分がいい。引き続き、台所を足の踏み場があるようにしたら、ずいぶん暮らしよくなるだろう。まあ、あせらずに、ぼちぼちやるか。来週はもう、そろそろ授業も始まるし。

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カツジ猫