やるやん。
◇ネズミは再び、こそとも気配を見せなくなった。
ということは、どこか新しい隠れ家を見つけてひそんでいるのであろうか。
やるやん、と思わないでもないのがいけない。
とにかく彼だか彼女だかが巣にできるような場所を家の中から一掃するのが一番だと、身をかくせるようなあらゆるものを片づけようとしているのだが、寄付する小包に入れるか捨てるか仕分けをするがらくたの入った箱や袋をいくつか開けてみただけで、何かもう心が折れて(笑)、ベッドの上にひっくり返って、届いたばかりの古本、ゼーガースの「死者はいつまでも若い」を読みはじめたりしている。
これ、ナチスの台頭と支配の時期のドイツの人々を描いた、序文だけでめっちゃもう面白そうな話で、岩波文庫あたりで文庫化してもいいのにと思うのだが、でも、こういう時代のって、よく描けていればいるほど、今の時代の現実と重なって、いらんこと胸がどきどきしてきて晋三にじゃなかった心臓に悪い。どういうか、生き埋めになった穴の中で生き埋めの小説を読んでるとか、ハイジャックされたバスの中でハイジャックの映画見ているとか、もう、いやな臨場感ありすぎ。
カルイ読み物のつもりで買った文庫本「ミッドナイトバス」が、けっこうぶ厚かったけど、読みやすそうだし、どうせ大したことないだろうと思っていたら、たしかにするする読めるんだけど、家族や夫婦や親子や地方と中央の問題や、からみあって広がって、どうなることか見当もつかず、ヒロイン二人のどっちもいやな感じじゃなく、どっちつかずの主人公もいやな感じじゃなく(映画化では原田泰造が演じるらしい。うんまあいいかも)、うまいとうならせたりしないで、実はすごくうまい作者かもなあと感心した。唯川恵なんかもそうだが、平和な時代が生み出したとても良質の作品のひとつだろう。穏やかな中の悲劇。平凡な中の危険。そこで生きていくことの苦悩と懊悩。生きるか死ぬか飢えるか殺すか、そんなこと何もなくても、人は充分に悲しいし苦しい。
にしても、冒頭、主人公が若い恋人を家に迎える準備万端が、とんだハプニングでぐちゃぐちゃになるのは、なんかもう、身につまされ過ぎ(そんな体験あるわけじゃないけど)悲惨過ぎで、いっそもうすごく笑えた。
◇とっとにかく水曜までは家にこもって絶対にネズミ退治をしてやる!と心に誓っているのだが、カツジ猫はあいかわらず太平楽に寝ているし、脱力しそうでとっても困る。いかんなー、やるぞー。