やればできるんじゃないか。
福島原発はあいかわらず厳しい状況のようで、もう、何号機がどんな状態なのか、とても覚えていられないほどだ。おまけにこの寒さでは、被災地で救助を待っている人たちも体力がもつのかと思ったり、キャラママさんはわかってて書かないでいるんだろうけど、原発近くの危険区域で、人間がみな避難して無人になった町で、目に見える危険や異常は何もないのだから、わけがわからないまま、ノラ猫たちや残された犬や、鳥や、虫たちが、歩きまわっている風景を想像するとやりきれない。熱帯魚だって、ウサギだって、いたろうに。
報道されることも、されないことも、すべて限りなく憂鬱なわけだが、そのわりに私はテレビを見ていて不愉快でない。毎日テレビを見ていてストレスで病気になりそうだという人も、私のまわりにいるけれど、私はけっこうそうではない。むしろ、ふだんより快適でさえる。
何でだろうと思っていたけど、考えてみると、アナウンサー、コメンテーター、キャスター、その他、画面に登場してしゃべる人たちが皆、とても気をつかって慎重に、ことばを選んでしゃべっていて、あおったり、安っぽい感傷論や道徳論を口走ったりしないで、変なめりはりもつけないで、事実を抑え気味に、淡々と語っているからだ。
毎日、しょーもないゴシップや三面記事に、大げさにさわいだり、えらそうに深刻ぶったりしていたのが、そういうことがまるでない。
きっと、自分たちの不用意な発言、思慮を欠いた感情的な表現が、とんでもない結果を招くかもしれないと、皆、肝に銘じてしゃべってるからだろう。うーん、これをふだんからやってくれていたら、どれだけ朝から夜まで、世の中がさわやかになるかもしれないのに。
キャラママさん。
百歩千歩万歩ゆずって、そういうワルガキの憎まれ口みたいな表現も許されるとしたら、それは、無名の弱い人にのみ許された権利というもんであって、かりにも上に立つ人が口にするこっちゃないですね。権力をもち、人の上に立つ存在になったとたんに、あきらめなくてはならないこと、失わなくてはならないものがあるわけで、ある種の逆説、反語、毒舌、本音を口にすることも、そのひとつだと思います。
「末代噺之種」、読めなくても実物の画像がちょっと見たいです。