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アジサイとじゃがいも

昨日は下の家の前庭を少し整理し、アジサイの花の枯れていたのを思いきって全部切りました。ちゃんとネットで調べて、花の下、二節目の芽の出てる上あたりで切るというのも多分守れたと思う。
まだ何とかきれいに咲いていたのを集めて水差しに入れたら、案外かわいかった。

ずっとかくれていた、後ろの富士山の絵もちゃんと見えるし、なかなかいいんでないかい?

ついでにものすごくトゲが痛い、野バラみたいなミニバラの茂みも切って、前庭がすっきりした。アジサイやバラが消えた分、第二弾のユリのつぼみがふくらんでいるのが目立って、カッコいい。

このごろ、ご近所のかたから、じゃがいもやきゅうりや、家庭菜園でできたものをいっぱいいただいて、ありがたいったらない。昨日は小さなスイカまでいただいた。どれもすごくおいしくて、こんなのなら私も庭で野菜を作ろうかとちょっと思ったりするけど、やっぱり大変なんだろうな。「買った方が安くあがりそう」とか、家庭菜園のご主人はよく笑っておられるし。

じゃがいもは、前は包丁で皮をむいてたんだけど、最近はざっとゆでて、手で皮をむくのにはまっている。皆さんは電子レンジでゆでるんだよね、多分。私は鍋でゆでるのに慣れちゃったからなあ。それを切って、人参や玉ねぎと、もしあれば肉も入れて煮ちゃうだけの根菜類がとてもおいしい。問題は料理する前に、ほくほくのゆでたてのじゃがいもがおいしそうすぎて、つい塩をふったりバターを塗ったりして一つ二つ食べちゃうこと。それでおなかがいっぱいになる。ごはんもそうめんも大好きだけど、じゃがいもだけでも主食になるとよくわかる。ロシアの農民とかが熱心に作るはずだ。

ふっと小さいときに読んだゴッホの伝記に出てきた、「じゃがいもを食べる人々」の絵画なんかを思い出したりして。プロレタリア文学の挿絵みたいな暗い色調の絵だけど、私はゴッホというと、なぜかまずあれを思い出しちゃうんだよね。あんな絵があって、「ひまわり」とか「糸杉」とかがあるんだよなあと、何かこう、ひとつながりで。

元首相と統一教会の関係をどうごまかすかつくろうかテレビのワイドショーをはじめとしたマスメディアの曲芸ぶりも観ものではあるだろうが、あんまり目や耳を汚したくもないから、このごろはラジオも聞かなくなった。海外ドラマの続きを買おうか借りようか、いっそ久しぶりに映画館に行こうかなどと考慮中。

そんな中、ちらとネットで見たところでは、元首相への批判を今することが「死体撃ち」と言われて攻撃されてるそうな。とっさに「赤毛のアン」シリーズの「炉辺荘のアン」だったかで、村のお葬式で妻にDVを働いていた男の棺の前で、先妻のお姉さんがものすごい演説でその男の罪をあばく場面を思い出した(「私のために戦うな」の中の「夢の子ども」ってエッセイで紹介したっけ)。好きだなあ、これだからモンゴメリを、私は。

そうしたら、「死体撃ち」を攻撃するコメントの中に、「外国では珍しくないが、日本ではない習慣」とか書かれていて、あのさー、論文書いてる人間のはしくれで言わせてもらうと、「何々という例はない」「何々はない」と書くのは、一番難しくて危険なんですよ。「こんな例もあった」はすぐ言えるけど、ぜーんぶ調べて「ない」と言うのはなかなか言えないわけで。ひとつでも出たらおしまいですから、ちゃんとした人はめったに書かないし言わない。よっぽど調べつくして自信があるか、よっぽどアホでないと「ない」とは言わない。ここ宗像の地方史でも、亡くなった敵のお姫様の墓に糞尿かけたとかいう伝説ありませんでしたかしら。あ、そうか。それは昔のことで現代の日本では、とか言うのか。たしかに「死んだらチャラ」って傾向は最近の映画やドラマにはあるかもしれない。ちょっと調べておこうかな。

まあ、ネットでいろいろ書く人の「調べてなさ」はすごいからな。直近では

鈴木エイト氏のゲリラ会見を載せたとする「赤旗」は日本共産党との関係が噂される新聞社です!!

というのがあって、目が点になって消えたわ。「赤旗」って共産党の機関紙ですよ(まあ、それを知らない人がいるほど知られてないっていうのも共産党からしたら問題かもしらんけど)。ものを知らんのも恥をさらすのも別にいいけど、人前で恥部を平気でさらけ出すのって、これもある種の痴漢行為じゃあるまいか

それはさておき、「死体撃ち」なんかちっとも悪いと思わないけど、仮に少しは遠慮すべきだとしたって、私は今マスメディアや与党や国民が総出でやってる「死体しゃぶり」なんかより、はるかに清潔でましだと思うんですけどね。そっちの方がよっぽど死者に対する冒涜だと思いますよ、私は。

だいたい、これが元首相でなくっても私はもともと、人の死や病気や事故や離婚をエサにして食いついて充実感を抱こうとする人が好かんのよ。ダンゴムシが糞を探すように、人の不幸をかぎつけて、関わって、悲しんだり、苦しんだりすることで共演者の一人になろうとして、生きる力を得ようとする。しょせんはお祭りなんでしょ、無味乾燥な日常の。たしか米澤穂信に、そういう傾向の不幸さがしをする人のこと書いた小説があったよね。あの強烈な気持ち悪さ。死刑見物に押し寄せる群衆もどきの趣味の悪さ。最低としか言いようがない。

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カツジ猫