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あっ、もうユリが

朝から曇って今にも雨が降りそうで、水まきをしたものかどうか悩みました。ここ何日かずーっとこうです。

ままよと思って水まきをはじめたら、とたんに大粒の雨がぱらぱら。そーらねーと思ったけど、どうせ大して降らないんだろと思って知らん顔で水まきを続けてたら、はたして雨はすぐやんで、やがてかんかん日が照りだした。ほんともう、えーかげんにせーよと思ったけど、これじゃ天気予報の人も大変だろうなあ。

そしてつぼみがふくらんでいたユリが、もう開き始めた!

うれしいんだけど、早めに切って部屋に飾りたいんだけど、ここは道からよく見える前庭なんで、もうちょっと見せびらかしたいというか、これ切っちゃったら、ここは淋しくなっちゃうんだよなあと悩んでしまう。

ワイドショーがようやく統一教会について、とりあげ始めているようだ。この宗教と元首相をはじめとした与党や政府との関係、この宗教の内容などを、徹底的にかくして報道しようとしなかったメディアが本当に恐ろしい。そもそもそんなことができると思っていた愚かさが恐ろしい。

教団の勢力は奈良県警の捜査にさえ介入しようとしているのではないかという指摘さえある。今の警察のトップが、かつて伊藤詩織さんのレイプ事件の時に、明らかな犯人の起訴をやめさせた人物らしいから、あり得ないと言い切れない。そう言えば銃撃事件と重なってあまり報道されなかったが、最高裁でこの件がレイプであったことが確定し、伊藤詩織さんの勝訴が決定した。賠償金は払うにしても、こんな犯人がまだジャーナリストとして存在していることも信じられない。元首相の死にも早々とコメントをよせていたようだが。

元首相については、国葬にするとの話も出ているとか。私は本当に、自分自身のこの件についての感覚がまちがってるというか、よくない結果につながりそうで、ものすごく恐いのだけれど、統一教会との関係が明らかになった時点で、彼の人物像が変にわかってきて複雑である。

小出裕章さんの指摘どおりで、彼の政治的に果たした役割は許せないとかを通り越しているが、それとは別にずっと前から私はこの元首相の発言や行動のすべてが、「どこか彼らしくない」とずっと感じていた。
もちろん個人的にだって、別に好きなタイプではない。だが、この人の非常識さや無茶苦茶ぶりや傍若無人さが、いつだって彼が主張する政策や国の未来像とかみあわない、重ならない思いがして、「この人は本当にこんな未来を望んでいるのかしら。そこで自分が幸福になれると思っているのかしら。やっていることや言っていること訴えていることが自分で好きなのかしら」という気がいつもどこかでしていた。

たとえばアスリートやタレントや芸術家のような人の中には、奔放で自分勝手で非常識だが、その分野での能力がすぐれているとともに、どこか憎めない愛すべき部分がある人が多い。そして、そういう人の生き方や思想は、のびのびと自由で既成の道徳にとらわれず、革新的で進歩的な社会を望むし、めざすし、支持するものであることが多い。ごく自然で当然の成り行きだろう。元首相が生涯をかけてめざすと言う自民党の憲法草案も、その他の政策も、どれもこれも、そういう方向とは、すべてまっさかさますぎた。

元首相に何か能力があったかどうか私にはよくわからない。しかしそれがあったとして、それは彼本来の性質や傾向と一致した、それを活かし切るものであったのか。あえて言うなら、自分のあまり好きでない、意に染まない、だが他に何も見つからないからやるしかないことをやらされているような、これは本来の自分ではないから本当の力を発揮できないというような、いらだちや劣等感や煩悶を抱える人から受ける印象に、彼のすることなすことは、いつもどこかで重なった。私は微小な存在なりに、彼とはいつも対決し戦ってきたつもりだが、いつもそれは彼の実体でも本体でもない何かとしか戦っていない、もどかしさがあった。

あるいは独裁者と呼ばれる人の多くは、そんなものかもしれない。一方で、このイメージは若い人をはじめとした今の多くの人たちの状況と似ているのかもしれない。だったら理想と自分の本質を一体化させ、まっすぐに生きている、野党の政治家のような幸福な人たちには、そういう人たちと心を通わせることは難しいのかもしれない。

何しろ、元首相のそんなイメージがまとまって行くにつれて、彼の死が美化され、事実さえもが作り直されて伝説として利用されようという動きが、醜悪を通り越して、限りない冒涜に思える。もういいから、せめてしばらくは、そっとしておいてあげて。そう言いたくてしかたがない。

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カツジ猫