オリオン座
クリスマスイブは晴れていて、空気が冷たかった。夜遅くジムに行って帰って来ると、晴れ渡った夜空に星がいっぱいに光っていて、家の真上にオリオン座が大きく輝いていた。
今日は母の命日だから、好きだった三浦洸一のCDを朝からかけっぱなしにして聞いている。母はデビュー当時からのファンだったわけではないから、「落葉しぐれ」がものすごく流行していたころの彼の人気のすごさは私も母も体験していない。
当時、NHKの「のど自慢」で、この歌を歌う人は大変多かった。「望みも夢もはかなく消えて」という歌詞のところで鐘が鳴らされることが多く、アナウンサーはそのたびに「望みも夢もはかなく消えて、鐘一つでございました!」と判で押したように言うのが常で、子どもの私も覚えてしまった。
当時の村の政治では、建設会社の一族の人たちがまるで平家一門のように、あらゆる役職を占めている状況で、選挙というと、それに戦いを挑んでは負け戦になる勢力の中に、村医者だった私の祖父も入っていた。とは言っても、おたがい普通につきあいはしていて、今の日韓関係ほどにも対立してはいなかった。
その華麗なる一族の一人の誰だったかが、宴会のたびに三浦洸一の「男なら」を歌うので有名だった。母は三浦洸一のファンになってから、そのことを思い出したように、時々言っていた。だからと言って親しくなろうとするわけでもなかったが、少なくともその人は、母がファンになる前から「男なら」を愛唱していたのだろう。
三浦洸一は、音楽学校も出た正式の歌唱法で、オリンピックの愛唱歌や、軍歌やロシア民謡も歌っている。今、部屋に流れて私が聞いているのは、けっこうマイナーなものも含めた軍歌の数々だ。この次の一枚はロシア民謡が多く入っているはずだ。今だったらアニメソングなどもきっと歌っていただろうな。
少し前にRKB毎日のラジオ放送で、料理評論家の山際千津枝さんが、三浦洸一のファンだとおっしゃっていたので、びっくりしてうれしくて、メールでもしようと思ってそのままにしてしまったっけ。
昨日は田舎に墓参りに帰った。薄暗くなるころ墓に着いたら、田舎の家を買って下さった方が、いつものようにきれいに墓を掃除して、赤やピンクの華やかな花を飾って下さっていて、まるで家に帰ってくつろいだようにほっとした。線香をあげて、いろいろあっても、一年がどうやら無事に過ぎそうなことを感謝した。
そのあと、高速で道をまちがえて、いつもとちがう所で下りたが、その方がずっと時間が節約できて、これからはその道を使ってみるかと考えている。
車内でテレビをつけっぱなしにしていたので、日韓首脳会談の様子が実況されていた。その中でアナウンサーが、首相が外遊が好きだということを言うのに、「外遊というと、お元気になる」と言っていたのに驚いた。いつからあいつは何様になったのだよ。
写真は、母が昔描いたユリの絵。