カーテンレール
気温の乱高下が続いている。この写真のセーターはネックはタートルだが半袖で、いつも着る時期に困るのだが、おかげで今年は重宝している。今日は上の家の片づけをしていたら、がらくたの中から叔母の遺したアクセサリーがいくつか出て来た。これは多分海外旅行のお土産用に買ったのかと思うが、かわいいので、つけて歩いていたら、ほめられた。
居間の押し入れを空にして、以前につけたパイプ棒を利用してクローゼットにしようと思い、湿気が恐いから開けっ放しにしてカーテンをつるそうと、二階の荷物を物色していたら、まだ開封してないカーテンレールが二本出て来た。しめしめと、押入れの前にくっつけようとしたが、若くて元気なときでも、そこそこ手こずった作業なので、足もよろよろ、腕や指の力も弱っている今、到底無理って気もした。
しかし、そこはものの試しと、夜になって、椅子の上に乗って危なっかしくバランスをとりながら、ありとあらゆる方法を駆使して、結局みごとにねじでレールをとめつけた。後は奥の部屋につるしてあるが使ってはいないカーテンを移動させるだけだ。やったぜ。でも本当はちょいと模様が派手すぎるんだよなあ。かといって、新しく買うお金はないし。あきらめとくか。
玄海町の町長さんは結局核のゴミ施設の調査を受け入れることにしたとか。それだけではまだ正式決定じゃないということだが、ただそれだけでも20億円の補助が政府から与えられるというのが、どうもこうも解せない。実際に建設できるかもわからないうちに、それだけの金を与えるなんて、ただの「ごほうび」じゃないか。薄気味悪いったらありゃしない。
それよりいささかショックだったのは、そういう調査をするには時間がかかって、もし実際に作るにしても、今から二十年後ぐらいになりそうだってこと。このごろそういうことはよくあるのだが、思わず、ああもうその時は私は生きてないだろうから勝手にしてくれと思ってしまった。人類を愛する者の考えるこっちゃないなあと反省する。それより恐いのは、百歳近くなってもしまだ生きてたら、末期に玄海町に核のゴミ施設ができるのを聞きながら死ぬしかなくなるかもしれないってことだ。まったくもう、冗談じゃないって。本当に原発にまつわるさまざまは、人の精神を下劣にする。