ちびちびじわじわせっせっせ
片づけても片づけても、次々わいてくる紙や手紙や書類の山に手を焼いている。昨日は一日ばてて寝ていて、ゆうべ少しだけ上の家の居間を片づけ、人が座れる空間を作った。あせってもしょうがないから、とにかく、足元だけを見て、せっせせっせと仕分けや分類にはげむこととする。とりあえず今日はしばらく、そういうのはおいといて、クリーニングの引き取りと授業の資料作りにはげもう。
そう言いつつ、庭をちょこちょこいじくっている。道から見える横庭のはしっこの草だけを、ようやく少しむしっていたら、何といつ買って植えたかも忘れ果てていた、かわいいラグラスが、植木鉢のすみっこに雑草のように生えているのを発見。しかもその後、近くの地面にこれも雑草にまぎれて生えているのに気づく。
これねえ、まめに、このへんの草をとっていたら、絶対に雑草といっしょに根こそぎ抜いてた。ほらあもう、こういうことがあるから、草だらけにして放置しておくのもたまには必要なんだよと、私の中のナマケモノが勝ち誇っている。
とりあえず、地面に生えていたのは、掘り起こして鉢に植えた。これって宿根草だったんだっけ。このまんま育つといいんだけどなあ、毎年の常連になって。
奥庭のバラは相変わらずすごい咲きよう。切って飾るのも恐れ多いゴージャスさだが、明日辺り切り花にしてやろうと思っている。
玄関前の鉢に去年植えた、ギガンチウムの大玉は、でかいつぼみをつけはじめた。何だかなまめかしくて、撮っていると恥ずかしい(笑)。
あちこちにはびこっているイチゴも実をつけはじめた。大抵、虫に先を越されてかじられるのだが、珍しく今朝は無傷の大玉があった。さっそくちぎって、庭でちょうだいする。甘かった。
母の日も間近なので、窓にフェイクのカーネーションを飾る。ナマの花は窓の下の鉢に咲いているから、まあこれでいいや。
母はうんざりするほど長く生きて(笑)、今も私の身体にとけ込んでいるようで、まったく喪失感はないけれど、もっと早くに若いときお母さんを亡くされて、あまり間もない人にとっては、母の日はつらいだろうなと、何となく、思いやってしまうから、こちらもつらい。
玄海町の町長さんが、核のごみの保管施設を受け入れる準備の調査を認めるかどうか、今日発表するようで心臓によくない。受け入れろと請願した地元のいろんな団体の顔ぶれや意見をものすごく知りたいし聞きたい。こんなご時勢に、核廃棄物貯蔵施設で町の活性化や再生を図ろうとするなんて、地球一周回ぐらい時代に遅れているのじゃないかしらん。
政府も、そんなもの作るなら、六本木ヒルズか伊勢神宮か国会議事堂か首相官邸の隣に建てたらどうなんだ。それが困るか恐いようなら、そんなもの作らなくてはならないエネルギー政策は見直すべきだろうに。
あれは、未来や孫子の代に危険と汚染を押しつけて、今の世代がのうのうと暮らすことを前提にした政策だ。そんなことを基本にしていて、どうやって人類や地球の未来を考えた行動や発想をする人間が育ったり生まれたりすると思えるのか、私にはまったくわからない。
長いけど、つまみ読みでもいいから、これ読んでほしい!「放射能廃棄物」という映画への私の感想。ほんとに、今こそ、読んでほしい。