カールじいさんの空飛ぶ家。
その感想を書く前に、「ど、ど、どうしちゃったのかしら?」の説明の方を先にします。
私は最近映画館で邦画ががんばってるのは悪いとは思わないけど、それ以上に洋画が見たいし、それも吹き替えでなく字幕で見たい。私が好きな俳優って皆、声や口調も魅力的だから、どうしてもそれを味わいたいし。
だから日本の字幕文化は絶対に残してほしいし、その方面での戸田奈津子さんの仕事や功績はとても評価している。これからもがんばってほしいと思っている。
彼女の字幕のいいかげんさは2ちゃんねるで数十スレッドができていて、それでもまだ言いつくされてはいないと私は思うけど、彼女しかやる人がなかった、そして英語を聞きとれる映画ファンや知識人の数が少なかった時代では、その程度のいいまちがいはしかたもないし、許されると私は思っているんだよねえ。どんな仕事であれ、それはそういうもんで。だから彼女の字幕が問題になり、たたかれたのも、正しいことではあるけれど、ある種の過渡期、移行期のやむをえない現象でもあるんだと思う…どっちにどのように渡って移っていこうとしてるかは知らんけど。
なのだけれども、ただ彼女の字幕のまちがいの中には映画を徹底的に誤解させ、殺してしまっているものがあるのも事実なんだよねえ。
自分の好きな映画のことしかわからないけど、その中でいっちばんひどいのは「グラディエーター」で、主人公の剣闘士(元将軍)が、冒頭の会話で「おまえはローマに行ったことがない(見たことがない)」と皇帝に言われてるのを、「おまえは最近のローマを知らない」と訳して字幕にしてることです。
おかげで、この映画の最も主要な設定と構成が、まったく生きていない。公開当時この映画は、単純とか規模が小さいとか批評されていたけれど、それはこの字幕が決定的に主人公の最大最高の悲劇を伝えそこなっているからではないの。「ローマを実際に見たこともなく、でもその正しさと高潔さと文明と文化を信じて、辺境で戦い、自分はおろか最愛の家族まで犠牲にしたのに、最底辺の奴隷として初めて見たローマは腐りきって頽廃の極みにあり、自分が滅ぼしてきた異民族よりもっと野蛮だった」という悲劇を。
俳優も監督も、それをきちんと表現しきってくれているのに、この字幕の罪は許せない。ちなみに私はもちろん、英語に堪能なバイリンガルの友人知人も、「何かおかしいな」と思いつつ、この字幕の誤りにはずっと後まで気がつきませんでした。ヒヤリング能力が万全でも、普通は字幕はチェックしないで、それを信じて身をまかせている。
えーと、この点のくわしいことは、Kumikoさんのサイトをごらん下さい。
で、戸田さんの字幕はそのようにめっちゃくちゃなところもあるわけですが、これがDVDとかでの吹き替えでは、別の方が担当するのか、きちんと正しく訳されていたのです、それこそもう、感涙もんで。
他の映画でもおおむねそうらしく、劇場公開の時点ですでにそのようでした。たぶん、吹き替え担当の方々は地味で新しい分野なだけに、誠実で良心的な仕事をされていたんでしょう。
なので、これは私だけではないと思うけど、「字幕では見たい。でも、特に戸田奈津子の場合なんかは、吹き替えも見てチェックしておいた方がいい」というのは、たぶんもう暗黙の諒解から常識の域に達しかけていたのじゃないかと思うんですけど(ちょっと大げさか?)。
そこへ来て、突然、戸田さんが吹き替えの翻訳を担当して、それを映画会社がけっこう宣伝して、どうやら「売り」にしようとしているとは。何、考えてるんだろう?
「大丈夫ですか?」って、最近こんなに思ったことはないよ。福島大臣の自衛隊合憲発言と、いい勝負だよ。
あ、また長くなりすぎたんで「カールじいさん」は次にします。ごめんねー。