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ガキかよ、トランプ。

◇まあわかってたけどね。今朝の毎日新聞でトランプが、国連にも相談しないで、勝手気ままにシリアを爆撃したのは、シリアの爆撃で亡くなった赤ん坊の写真を見たからですと。これが本当なら、もう何というガキのアホの単純バカに、強大すぎる権力を持たせておくの。即刻とりあげて、どっかに閉じこめろ。

こういう感情は誰でも持つだろうけど、それを言うなら、シリア側にだって、アメリカの爆撃で無惨に死ぬ人いくらでもいるでしょう。たとえ大の大人の兵士だって軍人だって、赤ん坊と同じくらい死んだらいかんでしょう。彼にも愛する家族がいて、老いた親がいて、幼い子どもがいて、エサを待ってるペットがいるかも知れず、よしそんなもの誰もいなかったとしても、だからって赤ん坊より死んでいいという理由はひとつもない。こういうあたりまえみたいな男性差別に私は一番腹が立つのよ。そういう成人男性がばかすか死んでるんだから、そりゃ赤ん坊も死ぬでしょう。何をぶったまがって、ミサイル攻撃なんかしてるの。一国の大統領ともあろうものが。

だいたい、今ごろそんなことにショック受けてぶっとぶぐらいなら、これまでアメリカが世界各地でしてきた、正義のための戦争とやらを見ろよ。ベトナムで、ずたぼろにひきさかれた子どもの遺体の写真など、その年だったら見てるはずだろ。最近だって湾岸戦争からこっちずっと、おまえの国のアメリカが中東はじめ各国で市民の上にも爆弾の雨降らせて、それこそ幼児も赤ん坊もいっぱい死んだの知らないのか。まだらぼけでもあるまいし、都合のいい情報だけに感動してんじゃねえよボケ。

たしか小泉元首相が靖国参拝だか憲法変えるとかそういうことに熱心だったきっかけは、鹿児島で特攻隊の遺書かなんか見たからじゃなかったっけか。もう、そういうことが重要な政策の根幹になるというのは、本当に危なくて見てらんない。そこをスタートにして、ではその悲劇をどうやって防ぐかとか、なぜそういうことになったのかとか、いろいろ勉強して調査して行くスタートのエネルギーにするもんでしょ普通。そのひとつの記憶ばっかり頭に閉じ込めて冷凍凍結保存して、他の情報や要素にすべて耳をふさぎ目を閉ざしてばく進するのって、手抜きの自己満足以外の何物でもない。上に立つ人や政治家は絶対やってはいけないことだ。

◇私はもともとそれ言うなら、60年安保で樺美智子さんがデモの中で亡くなってから、安保反対の運動が盛り上がったのも、当時高校生だったけど、おぞましくて大嫌いだった。安保闘争には関心あったし支持してたし政府の暴走には反対だった。でも、女子学生が死んだからって盛り上がる闘争なんて、悪趣味の極致としか思えなかった。どういう安っぽいドラマだよ。
ついでに言うなら、婦人参政権獲得の闘争で、エミリー・ディッキンソンが競馬場で馬の前に投身自殺して、それで一定の前進をしたのも、私には勝利じゃなくてむしろ敗北に思える。たしかあの時に、騎手もひとり死んだんじゃなかったっけ。そっちもたいがい気の毒だろう。で、最近の映画「未来を花束にして」が、その自殺を全面肯定評価して、それをラストの高揚感につなげてたのが、私には許せなかった。何てつまらん映画だ、根本的にまちがってるとさえ思った。
最近のシールズや反原連の運動が、その精神の対極にあるのが、私は本当にうれしいし、ありがたいし、心強い。

ちなみに稲田大臣も昭恵夫人も何かというとめそめそ泣くのが私はほんとに嫌いだが、まあそれはこっちの趣味の問題として、たとえば首相が過労死で自殺した電通の高橋まつりさんだっけ、そのお母さんと会って話を聞いたとき、涙ぐんでたとお母さんは新聞で語ってたけど、そのあと平気で安倍首相は残業100時間を認めるんですからね。あの連中の涙って、本当に安くて薄くて軽い。

私は歌手やスポーツ選手が泣くのだって好きじゃないよ。でも、言っちゃ悪いがたかが玉遊びや氷滑りや取っ組み合いやなんかで勝った負けたと泣くのは別にいいよ。本人も回りも。そうもあろうと思って見てられるよ。
だけど、人の生き死にや国の興亡や命の尊厳がかかった重要事項に、涙や自己陶酔や自己満足を持ちこむな。それも部分的な、不勉強のなまかじりの反応すな。ほんともう、吐き気がする。

◇ところで今朝の毎日新聞では、松尾貴史さんが、安倍首相、もうおやめなさいと実に行き届いた明確な直言をしていて、感服した。けどまた、これに対しては攻撃や悪口も多いんだろうな。がんばってほしいし、皆が応援してほしい。

◇ユキヤナギが散ったと思ったら、毎年のお決まりのようにまた、上の家の門柱のわきの、源平つつじがまず上の方から紅いつぼみをつけはじめた。庭の草も伸び始めて、お天気のいいときに、少しでもむしっておかなくてはと気持ちがあせる。

上の家の居間は少しずつ片づいて来て、今のところ、地味だがとてもいい感じのたたずまいになって来ている。朝、上の家のグレイス猫たちの世話をしに行ったついでに、ちょっと座って適当に棚から引っぱり出した本を読んだりする。昨日は日高暢子さんの「心をこめてメランコリック」というエッセイ集を読んだ。大学教授の日高六郎氏の夫人で、ものすごく破天荒でエネルギッシュな人で、犬の介護やフランスでの家のリフォーム、ポルノ小説も書いたり、激しい恋もしたり、スケールが大きく、生きる密度が深い。赤軍派か何かをかくまったかどで逮捕されたりしたこともあったようだ。たしか、そのかくまわれた人が、どこかでそのことを、深く怒り嘆いていた文章を見たことがある。
楽しく明るく華やかなそのエッセイ集の中に、さらっと書かれた一文があった。


自由は、恋と同じに精神に傷をおい血を流し、手に入れるものなのですね。


◇このごろは暖かくなったからか、カツジ猫がさっぱりふとんに、いっしょに入ってくれません。そのくせ、ストーブのついていない前のざぶとんに、朝からすまして座っています。気のせいか、お腹に続いてお尻の方も、ちょっとだけどっしりして、猫らしくなった気がします。

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カツジ猫