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キャラメル猫の思い出。

◇2000年の春に(もう15年にもなるのか)、愛猫キャラメルが死んだとき、悲しい中にも私はどこかでほっとしていました。それは「もうこれで誰も、彼を傷つけたり苦しめたりすることはできなくなった」という安心でした。

何しろ私はあまりに彼を愛していたので、誰かが彼を拉致して、しっぽや耳を切り取って送りつけて来て「生きて返してほしければ言うことを聞け」とか言われたら、家族も同志も殺しかねない、国家機密も売り渡しかねないと、いつも不安な気持ちで生きていました。

初代猫のゆきが、一度針金を身体にまかれたまま帰って来たことがあって、彼女は平気で落ち着いていたので、私も何気なくそれを外してやってそのまま忘れてしまったのですが、あれは虐待されるか殺されるかされそうになって逃げて来たのかもしれないと、あとで思いました。放し飼いにしている猫には、そういう危険はつきものでしたが、ゆきは妙に、そういう不幸をはねのけそうな気概のようなものがあって、安心していられたのです。

キャラメルも堂々とした強い猫でしたが、ゆきよりは、どこかはかない所があって、だからそんな心配もつい生まれたのでしょう。

◇万一そんな脅迫に屈しないで、キャラメルが残酷に殺されたりしたとき、自分がどうするかも心配でした。犯人を決して許さないだろう、犯人がわからなければ、その中の一人が犯人である人類すべてを二度と決して愛せないだろうと思いました。犯人がもしわかったら、どんな復讐をするだろうとも思いました。

しかし、結局どんな復讐をしても、私の怒りは治まらないだろうし、どんなに相手を苦しめても、それで罪の償いをさせたことには到底ならないだろうと思ったから、結局私は、その犯人のことを許すか忘れるかするだろうと思いました。そんな相手の苦しみなど、私にもキャラメルにも、汚らわしいだけで何の価値もないと感じたからです。

キャラメルが数か月の病気のあと、私に抱かれて息をひきとったとき、身体が消えて行くような悲しみの中でかすかに感じていたのは、もうそんな心配をすることはなくなったのだということでした。もう四六時中、心のどこかでそんなことを考えていなくてもよくなったのだということでした。自分が、愛する者のために、どんなに恐ろしい罪を犯すかに、いつもおびえていなくてもすむようになったということでした。

愛するものがあるということ、大切なものがあるということ、かけがえのないものがあるということは、私には必ずしも幸福なことばかりとは思えません。

◇ここ数年、さまざまな若い人の「人を殺してみたかった」から誰かを殺したという事件のとき、その前に試しに小動物を殺したり虐待したりした、特に猫を殺したという話を聞くたびに、キャラメルが生きていたころの自分の気持ちを思い出します。

殺された猫に飼い主や、かわいがっていた人がいたら、その人たちはどんな気持ちだろうと思うけれど、むしろそれは、その人たちとその猫たちの気持ちだから、うまく言えませんが、安心して立ち入らず、悲しんでくれる人たちにまかせておこうという気にもなります。

でも、それが、ただのノラ猫や、飼い主のいない猫だったら、そんなひどい目にあって死んでも、苦しむ人や悲しむ人や怒り狂う人はいないのだろうということが、私をやりきれない思いにさせます。

◇数知れない死、そのたびに生まれる悲しみと怒り。
それを、粗末にしたくない。
今思うのは、それだけです。

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カツジ猫