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クリスマスも近い

今日じゃなかった昨日、人間ドックの結果を聞きに行きました。
一応まあ大丈夫だったので、気をよくして、その後友人と食事して誕生日のプレゼントをもらい、天神かいわいのイルミネーションを見ました。岩田屋の前のピンクと赤のツリーや、警固公園の池に映る白いトナカイがきれいでした。

じゅうばこさん
早乙女さんの講演会、おかげで何とか無事にすみました。
お話は鬼のようにメモをとりましたので、その内、「板坂耀子研究室」の掲示板にでも書き込もうかと思っています。

西部劇の話は面白かったです。過去の道徳や倫理と文学作品の面白さの折り合いをどうつけるのかは、興味ある問題です。
少なくとも、古代ローマの奴隷制やロシアの農奴制が悪いからと言って、その時代を題材にした文学を書けなくなるはずがないでしょう。
「三銃士」の主人公たちは徹底的に貴族制度を肯定していますし、「風と共に去りぬ」は奴隷制を擁護しています。だからと言って、これらの作品を文学的に否定したら、さぞつまらないでしょう。

しかしたしかに、このへんの加減はむずかしく、たとえばマンモスなどが歩いている古代人を主人公として話を書く時、まったく当時の人の気持ちで再現したら、きっと意味不明の話になるでしょうし、(そんなことができるかどうかはさておき、)そうかと言って、まったく今風の人間に描けば、これもまたしらけるでしょう。
それは時代の要求や、作者や読者の好みで好きにしていいと私は考えています。どうせ、厳密に正確な考証などできるわけではないのですから。また、その考証がどれだけ正しいかも正確には永遠にわからないのですから。

ですから、たとえば西部劇で、「この時代にこんなことはありえない」と、あまり目くじらをたてるのもいやだし、かと言って今のセンスを持ちこんで、人を殺しすぎる、女や先住民が粗末に扱われてる、と文句を言うのもどうかと思います。
日本の歌舞伎や、ジロドゥの「トロイ戦争は起こらない」の、あの自由さを見るにつけても。

隠れ掲示板ということになってるのに甘えて、うっかりのふりをして書いてしまいますと、私は辻邦生や塩野七生の小説に古代や異国を感じられません。いくら時代考証が厳密でも、その国に長く住んでも、作者の精神が誤解を恐れずあえて言うと、小市民的だと(これは本来の意味の悪口というわけでは、この際はありませんけれど)やはり庄野潤三の世界(それは好きですが)や、山口瞳の世界(それも大いに好きですが)になってしまうなと感じます。他にもあげればきりがありませんが、歴史小説や時代小説は特に、作者の思想や精神の規模がそのままあらわれるのだと痛感します。

まあ、そう言っている私自身も、ある種の枠組みにはとらわれているのでしょうけれど。(笑)

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カツジ猫