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サカナよ、サカナ(続き)

前の続きです。

まあ、恋でも友情でも家族でもすべてそうなのかもしれませんけどね。またしても連想してしまうのですが、その場合大きいのは、要求する相手が、される相手にとってどれだけの魅力があるか、要求する方が正確に読んでないってことも大きいですよね。義務感とか情けとか美学からとかでやってることなら、おのずから限界がある。要求する方に絶対的な魅力があって、おまえのためなら何でもしてやりたいと思わせる状態なら、どんな犠牲を払っても、人でも動物でも相手につくすでしょうけれど。

私がこれまで、男女の別なく、いろんな人間関係をぶっちぎったときに、よく感じたのは、「この相手は本当によくよく私が自分にほれてると信じてるのか、そもそも自分は、少なくとも私に対しては、それだけの魅力なり価値なりがある人間だと思いこんで疑ってないんだろうな」ということでした。
まあそう思わせたこっちにも責任はあるかもしれないわけですが。

バギイはたしかに、うちにいた猫の中では一番の美人だったし、後足が一本ないのに元気に生きてるのも魅力なのですが、だからと言って私が彼女のために何でもするというほどの存在ではない。そもそも自分がそんな存在と思っているかのような行動をした時点で、私にはあらゆる魅力は半減します。逆の人もいるんでしょうが。

いやもう何よりも、大声で鳴くというのが私はキライなんですね。勝手なことを言わせてもらうと。これまで冷たくした猫はみなやたらと鳴く猫で、好きだった猫はみな、ほとんど鳴かない猫でした。わがままカツジも、ほとんど鳴かないし、鳴いて要求してもだめならすぐあきらめるから、私は彼のすべてが許せるんだと思います。
赤ちゃんが鳴いてじゃなかった泣いて育児ノイローゼになるお母さんやお父さんの気持ちが本当に、身につまされるなんてものではないですね。

と、たかが猫でここまで思いをはせる私も私ですが、とにかくバギイがどこかに行くなら行ったで、全然かまわないというのが今の心境です。

タイトルの意味を書くのを忘れていました。ゆきうさぎさんともよく話すのですが、おとぎ話で、貧しい漁師が助けた魚に願いを言えと言われて、家がほしいとか宮殿に住みたいとか家来がほしいとか王様になりたいとか、奥さんが要求するので、びびりながら毎日浜に行って「さかなよ、さかな」と呼んでは、出てきたさかなに願い事をしつづけるのですが、「この世界を支配したい」とか言った段階で、魚は黙って沈んでしまい、帰ったらもとの貧しい漁師小屋で奥さんが泣いていたというのがあります。
いやもうまったく、おとぎ話はあなどれない。ああいう話を子どもの時に聞かされて、人は「好意や幸運に対して、調子に乗るものではない」と学ぶのでしょう。

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カツジ猫