サカナよ、サカナ
私も猫たちも元気で、部屋も次第に片づいていっていますが、ここに来て、戸外猫のバギイにがまんならなくなっています。
もともと、シナモンもバギイも自由に外と屋内を出入りしていたのですが(行方不明になったナッツウも)、シナモンの胸に腫瘍が見つかって手術したのをきっかけに、家の中で飼うことにして、シナモンはそれで大いに満足しているようなのですが、バギイはどうしても外に出たがり、大きな声でしつこく鳴き続けるので、私が根負けして外に出し、エサも外でやるようにしたのです。
寒くなってきましたから、家の外壁にくっつけて巣箱を作ってやり、そこは物干し場で雨も防げるので、まあまあ居心地もよいはずで、実際そこでいつも寝て、朝は台所のドアに来て食事を催促するという毎日でした。
ところがだんだん、エサがあろうとなかろうと、私が台所に立つと、ドアのところに来て声を限りに鳴くようになりました。
入れてやると、今度は出してくれと鳴きつづけ、仕事にならないので、また外に出すというくり返しです。
ネットなどで見た限りでは、これはもう、猫が外に出られないとあきらめるまで、こっちががまんするしかないようですが、とにかくもう、こちらもいろいろ集中が必要な仕事をしているわけでして、とても30分も1時間も鳴きつづけるのにつきあってなんかいられない。
それでもう、家に入れるのはやめたのですが、すると巣箱に入っていても、とにかく私が風呂に入ったりトイレに行ったり台所に行ったりするたびに、気配がしたり灯りがついたりしたとたんに大声で鳴きはじめるのです。
ご近所にも申し訳ないですし、私の仕事など徹夜や夜更かしはしょっちゅうですから、入浴も食事も深夜や夜明け前なのは普通です。そのたびに声を限りに鳴かれたのではどうしようもなく、空腹でも食事を作らず、のどがかわいても冷蔵庫を開閉できず、入浴もトイレもひかえるように、いつの間にかなってしまっていました。
先日、ついうっかり朝まで仕事をして、夜明けに寝る前、台所に歯をみがきに行ったら、たちまちドアの外で大声で鳴き出し、それ以後ずっと鳴きつづけました。
これでもう私も我慢の限界をこえ、翌朝エサをせがみに来たバギイの頭をいきなりたたいたら、すっとんで逃げて行きました。
空腹でエサをもらいに来て、ぶたれたらかわいそうだとはわかっているのですが、こっちももうやっていけない気分です。
それ以後どんなに鳴いてもドアを開けず、エサもやっていません。これでもう三日になります。夜はファミレスで仕事をして、帰ったら電灯もつけずに歯をみがいて寝てしまい、昼もなるべく家にいないようにしているので、バギイがどうしているのか知りません。一応朝はちょっとドアの外で鳴いていますが、すぐあきらめてどこかに行くようで、何とか生きてはいるようです。ゆうべ洗濯物を干しに行ったとき(どういう生活かお察しください)、巣箱を見たら中で寝ていたので、まだそこで暮らしてはいるようです。
彼女としては前のまま、自由に外と中を行き来していたいわけで、あくまでその環境をかちとろうとする向上心は見上げたものですが、こっちにもこっちの都合があります。それを受け入れてくれないなら、もうしかたがない。
ゆきうさぎさんがよく、お母様にできるだけのことをしてあげると、それで満足してくれるのではなく、それがあたりまえと思われて、どんどんそれ以上のことが求められ、結局ぶちきれていっさい何もしないようにするしかなくなると嘆きますが、人間であれ動物であれ、全部がそうではありませんが、こちらが何とかしようとしてやると、それを当たり前とうけとめて、どこまでも要求してくるのは実際たまりません。
格差論なんか書いているから、つい連想しますが、これは貧しい人が自分の権利を主張する場合でも、権力者が支配下の人たちをしぼりとるのでも、両方の場合に通用するような気がします。ほどを知らない。際限がない。甘く見る。つけあがる。その結果、相手を疲れさせ、とどのつまりはすべてを失う。
こんな話で二回にわけるのもどうかとは思いますが、くだらない話すぎて要約するのも腹が立つから、このままでわけます。