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サラエヴォ。

◇DVDで映画「サラエヴォの銃声」を見た。
学生たちに、映画「ホテル・ルワンダ」を紹介して、そういう虐殺とかの報道はリアルタイムでもなかなかなくて、そこにいる当事者たちは「世界が関心も持たない」ことに、本当に絶望する、私たちは世界で起こるいろんな事実を知ろうとしてなくちゃいけない、と、えらそうな説教をしたのですが、考えてみると私自身、ユーゴスラヴィアやらセルビアやらボスニアやら、あのへんの民族戦争の悲惨さについて、ほとんどまったく知らないんだよね。スレブレニツァの虐殺も聞いたことない気がするし。それは知らないということじゃ、「ホテル・ルワンダ」の描いたアフリカの現状だってそうだけど。

おぼろな記憶がある。たしか、サラエヴォで冬季オリンピックが開催されたとき、フィギュアスケートで、往年の金メダルクラスのベテランカップルが、「花はどこに行った」のメロディーで演技をした。そのときにアナウンサーが「昔はすごかったけど、今は大したことないですね」みたいなコメントをした。すると、女性の解説者がとても静かに力をこめて、「この地で起こった民族紛争の悲惨さ、そこでこうして平和の祭典が開かれるようになったこと、それをふくめて、亡くなった多くの人たちへの、深い祈りをこめた曲と演技で、すばらしかったと思います」と言った。
そこには、怒りはなくて、ただただ深い感動がこもっていた。私もその男性アナウンサーと同じように、何も知らなかったけれど、ああ、そういうことなのかとぼんやり思った。それくらい何も知らなかった。まあ、私はともかく、アナウンサーは、そのくらい知っとけよとは思うけど。でも結局、日本全体でも、そのくらい誰も関心がなかったのかもしれない。

その後では米倉穂信の「さよなら妖精」と、DVDの映画「ノーマンズ・ランド」で、言ってみれば、同じ国どころか、同じ地域や町内で敵味方が分かれて殺し合う、悲惨な戦争の雰囲気を少しは知った。「サラエヴォの銃声」を見ていて、そのときにかいまみた傷口の数々があちこちで開くのを感じた。
皇太子の暗殺なんて、世界史の一行で覚えてるだけだが、現地では殺した青年が英雄かテロリストか、正義か悪かで、その地に記念碑が立ったり壊されたり、いろいろあったことも知らなかった。そりゃ、こんなリアルで生々しい日常じゃ、慰安婦像をめぐる対立だって、まだ大したことじゃないかもしれない。

インタビューやスピーチもまじえてくり返される、サラエヴォで欧州は死んだ、という認識。朝鮮戦争と同じように、ここに住む人たちにとって、第一次世界大戦の始まりは過去じゃないし、第二次世界大戦の終焉は、決して何かの終わりではなかった。

◇あらためて、七十年も前の敗戦を、最後の戦争の記憶として、くり返さない、二度とあってはならないと誓えることの、目まいがするような幸福を思う。遺族が高齢化し、戦争の記憶が風化して行く悲しみは、悲しみというだけではない、もしかしたら、輝かしい誇らしい、満足すべきことでもあるのではないのだろうか。戦争も原爆も知っている人が誰もいなくなっても、平和がきちんと続くことをめざさなくてはならないのだ。

◇今日は本当に微妙な天気で、エアコン入れるか水まくか、対応に困る。ラジオで聞くと甲子園も雨が降ったりしているそうだ。そして、午後からの試合は高知と愛媛の四国対決だってさ。地元の人たちは、もったいないだろうなあ。しかし、保元の乱で、源氏も平家も敵味方に分かれて、どっちが勝っても全滅にならないようにしたって説もあるように、片方は必ず勝ち残るという点では、まあ悪くもないのかな。

◇カツジ猫は、毛色が全体白っぽくなって、私から「ホワイトタイガーやん」と、からかわれています。

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カツジ猫