スパイ映画、格差映画。
◇明日は珍しくも一日、これといった予定がないのだが、その分逆に、したいことや、しなければならないことが満載で何から手をつけたものか、一日前の夜から悩んでいる(笑)。
先日やけになって買った「ナポレオン・ソロ」の二つのDVDだが、一方は吹き替えはもちろんのこと字幕もついていない。多分、日本では公開されなかった劇場版映画で、ディスクが4枚も入っている贅沢さだが、英語で聞くしかないとわかった時はさすがにぎゃっと言った。
しかしまあ、よくしたもので、これがスピードラーニングの代わりになるとは思わないが、何しろ話の筋は超単純だから、ろくすっぽ言葉がわからなくても、あまり困らず楽しめる。ときどき肝心な要点になると、登場人物が力をこめてしゃべるので、そこだけは私の乏しすぎるリスニング能力でも、割と何となくわかってしまうのも都合がいい(笑)。
◇それにしても、そうやって、あの矢島さんと野沢さんの軽妙な吹き替えなしで楽しむとなると、どうしてもソロとイリヤを鑑賞するしかなくなるわけだが、あらためて思うのが二人ともしっかりした演技するなあ。
彼らのどっちかが「自分のような本格的な演技力を持ってる役者が、こんなしょーもないアホなドラマに出て」とかぼやいたという話を私はまったく耳にしたことがないのだが、見ていても、これだけアホらしい話を大真面目で演じながら、彼らはまったく手抜きをしていないし、ちょっとのかけらも、クサってはいない。逆に自分の本格的な深刻な映画もいくらでも演じられるという力に、まったくの疑いも迷いも抱いていない、堂々たる自信を感じる。
イリヤを演じるマッカラムの魅力はわかりやすいし、公開当時の人気もわかる。私も彼は好きだった。だが、あらためてこうして見ると、ソロを演じるボーンが、主役なのに目立たなくなりそうな、むずかしい位置にいるのに、全然ゆらがず、アクの強さをさらりと抑えて上品な色気をふりまきながら演じている、その才能をもう何と表現したらいいのだろう。鼻持ちならない色男スパイを清潔感さえ漂わせながら、軽妙にふわりとただよって流れるように演じているのだが、それでいて、軽くもなければ薄っぺらでもないのは、彼の演技の底にある複雑さ、重さ、暗さがきちんと重しになって効いているからだろうとわかる。
マッカラムの方も、この役割に要求されている中性的で少年っぽい雰囲気を見事に表現しているが、これまた彼もただの小柄でかわいい金髪の若者ではなく、内面的で屈折した鋭い性格を充分に演じられる力を持つ。だからこそ、その日常や過去の謎めいた世界が限りなく背後に広がる。
まったく、ぜいたくな映画だなあ。単に外見のかわいさとかカッコよさとかだけでなく、見ていてほんとに、目の保養になる。
母もこのドラマをテレビで見ていて、二人の上司のウェイバリー課長がお気に入りだった。話の中でも現実でも亡くなってしまってるのは淋しいが、映画の方ではまだ元気に活躍しているから、なつかしくて、うれしい。ソロとイリヤに呼びかけるとき、彼はいつも「ジェントルメン」って言ってたのだなあ。
◇それにしても、昨今の海外ドラマが、主人公たちの過去やら日常やらをもうこれでもかというぐらいに描きまくり際限なくエスカレートして行くのは、まあそれはそれでいいのだが、「ソロ」にしても「コロンボ」にしても昔のドラマって何てもう、彼らの私生活をまったく描かず過去にも触れず、それでいてこんなに楽しいのだろう。(コロンボが、かみさんだの、いとこだの、私生活をしゃべりまくるのは、犯人をつっつくための手段で、ドラマは本気で彼の日常を描こうなんて、まるっきりしちゃいない。)それこそ彼らがふだん暮らしてる家なんて一回も出て来なかったし、家族も幼年時代も話題にちらともならなかった。
ああ、何てもう気持ちがいいんだろうと、それもうっとりしてしまう。
これがもう、今のドラマだったら確実にイリヤが故郷で味わった何か大変な悲劇とか、ソロの変わり者の大叔母さんとかが、いやってほどに描かれてたよなあ。そんなことがなくって、ほんとによかった。
◇話は変わって…(笑)。
こーの忙しい中、私はそれとなく、DVDや映画で、アメリカの格差社会をテーマにしたものがあると、一応チェックして見てみることにしている。だから「タイム」も劇場で見たし、上下の世界が入れ替わるやつやら、「エリジウム」やらも一応は見た。つうか、見ようとした。
何しろアメリカじゃあれだけ富裕層が金を独占し、格差が広がり、日本もいずれそうなりそうだから、ちょっとそれがどのように映画で描かれるのかは見ておきたかった。そもそも、そういう貧富の差や格差をテーマにした映画がじわじわ作られはじめているということも、気になっていた。
しかし、結論から言うと、どれもこれも、みごとにまったく面白くない。
あ、「ハンガー・ゲーム」もそうだったな。あれはまあ、原作も含めて一応力作ではあったが、それにしても私を感心させたり何かを発見させたりするものはなかった。
第一、どの映画も冒頭からもう型にはまって陳腐で退屈で、DVDは途中で見ないで返したのもある。
「スノー・ピアサー」はまだ見てないけど、どうなんだろうか。
◇私は安倍政権がほとんどそれだけでまだ人気が残ってるような経済政策の基本精神を、まったく信用も支持もしてないし、金持ちのおこぼれを貧しいものがもらえるという、トリクルダウンたらいう言葉も、響きから何から大嫌いだ。言葉のいやらしさという点ではナデシコジャパンと双璧だ。
話せば長くなるから、またゆっくり書くが、それは私が貧しくて恵まれていないからではなく、いやまあたしかに貧しいし恵まれてもいないのだが、にもかかわらずなぜかいつも、自分が「持てる者」という目で見られて、「少しはこっちにおすそわけしてくれ」というまなざしで、ぎらぎら見られているのを感じてしまうからだ。
それを、「あなたにわけ与えられるものなど何もない」とか「ほしけりゃ自分でもっと努力しろ」とか「私が今持っているものは自分の力で獲得したもので、あなたにねたまれる筋合いはない」とか「そもそも塀の外で貧しい人がばたばた倒れて死んでいても全然気にならない」とか言ったり思ったり感じたりできるためには、かなりの精神修養を要する。そして、そういう精神修養は、うまく行ったとしても、どう見ていても、人をあんまり立派にしないし世の中を心地よくもしない。
私は自分の持っているものを「それがほしい」と見つめられたら、動揺する人間だ。そうすると今の世の中