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スピードアップ!

一昨日、叔母のいた町の銀行の貸金庫を十数年そのまま使ってたのを解約しに行った。ここの金庫室は広くて立派で、「ミュンヘン」の映画でアブナーがテロ組織(って国だけどさ)から金を受け取ったりする場面を見るたびに思い出す、きれいな無機質な空間で、あわただしく叔母の遺産の整理のための書類を出し入れしたこともなつかしく、もう二度と来ることもないだろうと思うと名残惜しく、古戦場を見るように別れをつげた。

もう何年も来ていないので、何を入れていたかも忘れていたが、私の遺言状の正本(原本は公証人役場に保管してある)があって、それとは別に私が相続人の人に残していたメモみたいな手紙がつけてあって、状況も変わってるので、書き直したりしていたら、意外と時間をとってしまった。叔母のアクセサリーも少し入っていたが、これは早々に親戚の若い人に送ることにした。古いものだけど、記念にはなるだろう。

車が水漏れしてるので電車で行ったが、帰りに途中の踏切で車が立ち往生してるとかで、四十分程電車がとまった。自分の車も怪しい状態なので、ひとごととは思えなかった。ぶるぶるぶる。
自動車工場で応急処置はしてもらっているのだが、やっぱり万全ではない模様。このひと月は、いろいろスリリングなことがありそうだ。でも私、これまでの歴代の車のボンネットを開けたこともなかったのに、最近は駐車場などで、普通にバンと開けて、ペットボトルの水を冷却水ボトルにごぼごぼ入れてて、ちょっと戦地のジャーナリストかボランティアみたいで、カッコよくない?と罰があたりそうな自己陶酔にひたってる。ちょっとだけ。

その電車の中でフィッツジェラルドの「夜はやさし」の前編をかなり読んだ。後編も今日あたり届くはずだから楽しみだ。驚いたけど、思っていたよりずっと、きらびやかで美しい小説である。
あらためて思うが、これ自分が青春時代で、抱負や野心や恋愛をまだあきらめてない激戦地区のまっただなかだったら、絶対切実すぎて楽しめなかったよな。いくら書かれている世界が自分とかけはなれて華やかでも、それでもやっぱり、どこか痛ましくて、つらすぎて。もうそんなことのほとんどを、手放したりあきらめたりしてしまった今だからこそ、こうやって、水族館の水槽の美しい魚たちをながめるように、心から楽しめるんだって思う。こういうことは本当に、年をとるのが悪くない。手足が弱くなって不自由になった分、心は強くなって自由自在に動かせる。

書庫の中の江戸紀行のファイルをチェックして、簡単な紹介集みたいなのを作ろうと思ってるんだけど、記事がいちいち面白すぎて、まだ第一冊めの「紀行右よし野」にとっつかまってる。こんなことではミイラになっても白骨になっても仕事が終わるわけないから、スピードアップしよう、今日中には次の作品に行こうと思っているのだが、なかなかうまく行かない。

面白がってるの、私だけかしら。たとえば、こんな記事、読んでて楽しくないですか?

木曽路の奈良井あたりで、木工品の土産物について。やっぱ、大坂から来てるから、泥臭く見えるんですかね。でも丈夫だし、皆買ってるって。

此宿、木の工ミ多く、椀、折敷、手箱など細工師家毎にありて、おなじく漆ぬりにして商ふ。流石に山家細工ゆへ、うつくしからねど甚、強きといふ。奥よりの道者は何れも是をとゝのへ、家土産にするとなり。(奈良井)

贄川近くの平沢では楊枝がお土産。今もそうみたい。

道端の草を採るのは遊びじゃなくて、宿の夕食のおかずの足しにするんだと。

此村(平沢)に家毎に楊枝を売る。難所をかゝへながら、わらび山吹など摘とり興ずるは、道草にあらず。旅泊の菜のたよりにと、

道草もわびし心の鍵わらび(贄川)

姥捨山の八幡宮では、子どもたちが、鶴の脚に糸をつけて、参詣客に一羽三銭で売って、飛ばせてはまた回収してる。「神様も笑ってるだろう」と作者の感想。今はやってないみたい。ま、当然か。

境内に鶴多く群居る。里の童、「鶴を放せ」とて参詣の袖にすがりて銭を乞ふ。鶴一羽、三銭也。彼(かの)鳥に糸を付ケ置、放すと其儘(そのまま)たぐり寄、又参詣の人々に群る。所ならはしといへど、神の御心に嘸おかしからんとおもふ。(姥捨山・武水別神社八幡宮 鶴のことは今はネットに記事なし)

善光寺通夜、妙義山神楽なども詳しい。長すぎるから引用しないけど。五料の関所では通行手形のいることを知らないで、弁明したら、善光寺参詣の印文を確認して、行程を確かめて許可してくれた。役人、融通きいて親切じゃん。でもきっと、そういう旅人も多かったから慣れてるんだよね。ちがうかな。

御料の御関所は、左り側の門の内へ入て通る。此御関所、切手なくては通りがたき事を知らず。関所に膝まづき、「しかじか」と述る。「証文ありや」と言へるに案内知らず、切手なき事をひたすらに助免を乞ふに、心ありげなる役人、浪花を出し日を尋ね、此所へ来る事の速さを問ふ。善光てらへ詣ふでし事を伝ふ。「左もあらば御印文など求つらん」との事に、面々所持せる事なれば、たび出しぬ(取り出した)。「此所は切手なくては通しがたけれど、案内知らず来かゝる事、誠しければ、急ぎ通れよ」と聞て、蘇生りたる心地し、「誠に如来菩薩の御加護にや」と、歓喜して出れば、直に例の船場也。(五料の関所 五料)

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カツジ猫