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タイヤの収穫期?

◇ガソリンスタンドでよく「タイヤ変えないと…」と言われる。なぜか3月はどこでも「タイヤ祭り」とか言って、タイヤの安売りをしている。トマトやブリと同じように、タイヤにもひょっとしたら収穫期というものでもあるんかい。海にタイヤの大群が泳いでるとか、畑にタイヤが熟れてるとか。まあそんな風だから、逆にタイヤを変えませんかと勧めるんだろうとは思ったが、あんまり言われるので不安になり、たしかに酷使もしてるので変えた方がいいのかなと、行きつけの自動車工場に尋ねに行った。

車を買った時以来、もう30年近くおなじみの工場長は、見るなり「まだ変えないでいいですよ」と即答し、念のためにじっくり見てくれて、「大丈夫です」と保障した。これで数万円浮くと思うとうれしくなり、思わず定期点検を頼んでしまった。一日で仕上がるというので、今朝持って行って預けて来た。
これで今日は外出できない。家の片づけをするしかないはずだ、と自分で自分を追い込んでいる(笑)。

◇でも、返事しなければならないメールや、書きたい原稿も山とあり、ありすぎて先が見えないので、もう何もする気にならず、先日、大学生協から引き取って来た、仕事とは直接何の関係もない本に読みふけってしまったりしている。
多和田葉子の「献灯使」はまだ読み始めたばかりだが、誰もが書いているように恐い。じわっと恐い。環境が汚れきって未来はひたすら虚弱に衰退していく予感。そして情報は閉ざされ、多くの人々は抗議も疑問も持つエネルギーがないまま、日々の生活をそれなりに誠実に生きている。何らかの社会的活動をしている人たちもまた、それぞれの閉ざされた状況の中にいる。

私はオーウェルの「1984年」を高校生か大学生のころ読んで、「人類はこうはならない」と妙に自信を持って明るく確信したのだが、その少し後でソルジェニーツィンの「煉獄の中で」を読んで、事実をもとにしていることがどれだけ理由になったかはわからないが、「人類はこうなるのか」と妙に暗く落ちこんだ。
「献灯使」がしみじみ恐いのは、未来や架空の話のようでいて、もはやそのかなりの部分が今の現実のように思えることだ。ああ、落ちこむ。でも面白いからやめられない。

これに比べりゃカスパー・ヘンダーソンの「ほとんど想像すらされない奇妙な生き物たちの記録」なんか、冒頭から楽しくて、ピクニックか小旅行にでも行ったとき、野原に転がって読んだらよかろうなあと思うのだが、まあ陽の当たる窓辺でお茶しながら読むのでも、それはそれで悪くはない。

ととととにかく、今日は片づけ仕事を少しは進めて、原稿なんぞも書かなければ。

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カツジ猫