ダルタニャン。
たとえキライな映画や本でも、どうってことない映画や本でも、書きだしたらいっくらでも話がとまらない私ですが、昔からもともと好きではまってる作品となると、もう、どこまで話が発展して長くなるのかわからない。というわけで、博多座のミュージカル「三銃士」から、映画「仮面の男」から、ちょっと書こうとしただけで、とまらなさそうで、びびってしまう。たとえば…
博多座でも「仮面の男」でも、皆ダルタニャンのことをびみょーに「ダルタニアン」っぽく発音していて、映画の字幕でも「ダルタニアン」になってて、何となくそっちが正式っぽく聞こえたりするんですが、キャラママさんの同僚の仏文学の先生のお話では、あれは「ダルタニャン」と、「ニャ」でなくちゃいけないそうです。
なお、「三銃士」の続編で中年のダルタニャンはスパイになって、マゼランだか誰だかのたくらみをさぐりに、どっかの地方に潜入する時があって、その時彼は商人かなんかに化けたと思うんですが、名のってた偽名は「アニャン」でした(すっごくもう、てきとーな。ま、ダルタニャンって原作じゃ、そんなやつですけど)。
キャラママさんが飼ってた黒猫のいっぴきが、その名前をもらってます。まんまるな目のかわいい猫でしたが、病気で死んで、キャラママさんが作ったお墓には、彼の名前もちゃんと刻んであります。あれ、考えるとキャラママさん、ダルタニャンといっしょに葬られてるようで、ちょっとうらやましい。
あ、それで思い出したけど、少しまえに靖国神社に「勝手に葬ってほしくない」って、一部の遺族が抗議した裁判で、「それほどの精神的苦痛とは認められない」って訴えを却下する判決が出て、なんかずっこけたんですけど。それって、靖国神社や、喜んで葬られてる人にもかなり失礼な判断じゃないんかい。
「そんなとこに葬られたくないんです」という気持ちの苦痛度(?)を、軽く見るっていうことは、結局、「あそこに葬られるなんて、全然もう大した意味のあるこっちゃないんですから、まー奥さん、そう気にせんでも」と言ってると同じとしか、私には思えないんですけど。
これが不敬とか冒涜とか失礼とか言わんでよね。言ってるのは私じゃないもん。あの判決は私には、こういうこととしか読めないんだけど。裁判官は唯物論者か無神論者かとしか思えないんだけど。ちがう解釈や読み方があったら、教えてほしいよ、もうマジで。
ま、それはどうでもよく…はないけど、ちょっとこの際おいといてだね。
映画「仮面の男」で、アトスの息子のラウルを演じてるピーター・サースガードって俳優さん、そのあと、「キンゼイ・レポート」だっけの映画に出たりして、その時なんか相当ひとくせありげな、したたかそうな、アクが強そうな感じだったのに、このラウルのときは、ほんとにもう、影がうすくて、ハンサムでいい人だけど特徴も個性もない、今にも消えていなくなりそな、いなくなっても気がつかれなさそな(アトスに殺されそ)青年にみごとになりきっている。これは地だろうと思って見てしまうほどだ。役者ってやっぱ、すごい。
と、いうようにキリがないので、まー、少しずつ書いていきます。