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チキン・ゲーム。

◇今日は近くの河東コミュニティセンターで、日中友好協会が中心で実行委員会作って上映した、「望郷の鐘」という満蒙開拓団のことを描いた映画を見て来ました。山本慈照さんという実在の方のお話です。この方は、長野県の伊那谷からソ連国境に近い満州に、終戦ひと月前ぐらいに開拓団として入って、家族ともども地獄を見た、お寺の住職&学校の先生です。

いい映画でしたよー。
私は反戦映画の多くが、特に日本の場合、とても立派で正しくて何のまちがいもしてない人がひどい目にあって、「だから戦争はいけませんよねー」ってノリになるのが、見てるだけでカリカリ来て、これ以上はないひどい目にあった主人公やヒロインが、その中で他者を犠牲にしたり愛する者を見捨てたりした「悪」もしっかり描いている「生きるために」とか「ソフィーの選択」などに比べると、何ちゅう甘さだと、いつも思ってしまうのです。でも「望郷の鐘」は山本さん自身のことばでしょうが、冒頭いきなり「国のごまかしを見抜くのは容易ではない。それを見抜けなくて他国に行ってその国の人を苦しめ、自分たちも苦しんだ満蒙開拓団は、被害者でありながら加害者でもあった」(記憶で書いてますが、だいたいこういう意味のこと)と、ナレーションと文字で、静かにですが、ばん!とぶちかましてくれますので、ここで私はもうシビれて、どこまでもついて行きますって気分になりました(笑)。

映画は声高にスローガンを叫ぶのでもなく、淡々としているようで、ちゃっちゃと片づけるところは片づけるし、細やかな情感もあるし、油絵じゃなくて水彩画風な、とてもいいバランスとテンポで、描かれているのは悲惨きわまりないのに楽しめました。ひとつの家族の、自治体の歴史がすうっとくりひろげられて行くような。主人公が僧侶だからかもしれませんが、彼は誰も責めないし、許し続ける、その温かさと、どういうか許す以外にどうしようもない切なさが、じわっとせまって来ます。

「国にだまされた、しかし、だます者とだまされる者がいなければ悪は生まれない。だまされた者にも責任がある」ということばも、冒頭のナレーション同様、的確で、重い。

主人公が、帰国後、故郷のダム建設に強制連行されて死んだ中国人の遺骨収集にたずさわるのも、その後、中国残留孤児を調査しはじめるのも、とても自然で、そのような大きな悲しみと深い体験から生まれた日中の交流の歴史を実感させました。最近の政府にも明らかに利用されている中国や韓国への敵意が広がるずっと前から、このような交流と贖罪と努力が営々と築かれてきたこと、それを生み出した悲劇の大きさも手に取るように伝わりました。

俳優たちもなつかしいベテラン、思いがけない若手、いずれも見事な演技で、この一見地味な映画を珠玉のように輝くものにしていました。自虐史観という言葉とはあまりにも無縁な、国や地域や家族や自分の生きた歴史を心をこめて抱きしめ愛する精神が、彼らの演技や映画全体から否応なく伝わってきました。歴史を知るとは、このような苦さをかみしめ、幸福を味わうことだとよくわかる映画でした。

どこかお近くで見る機会があったら、ぜひ、ごらんになって下さい。今日も二回目の上映では「新聞で見たので」と、時間ぎりぎりに息を切らせて走りこんで来た男性がおられました。

◇私がご近所一帯に配って余った、29日の集会のチラシを、誰かにあげようと持って行ったら、足の悪い高齢者の方が、こともなげに、「私は700枚ぐらいすぐ配るから、もらいますよ」と言って、全部引き取って下さいました。何かもう、恥じ入りました。

その後で、母のところに行って、どこまでわかるのかも考えずに、映画の筋を話したら「ほんとに戦争はねえ」と、ちゃんと、あいづちを打っていました。
その帰り、カーラジオで、大阪のダブル選挙でどっちも維新が勝ったと聞き、まあそんなことだとは思ったけど、投票が8時に終わって10分後か、もうちょっとぐらいねばれよとか、ちょっとだけ思いました。
でもあれだけがんばっていた大阪の人たちのことを思うと、お疲れさま本当に立派でしたとしか以外に、言うことばはあるわけもないです。本当に、本当に、ありがとうございました。

帰宅してネットで見ていたら、ここのツイログで深町さんという方がおっしゃっている、次のことばで何だか大笑いしました。まったくです。

http://twilog.org/Kumiko_meru

「大阪の選挙結果にお嘆きのあなた、大丈夫だ。東京だって石原慎太郎を4回も当選させた。(おかげで負の遺産がたんと残った)どうかしているのはどこも同じだ。なんの慰めにもならんが。」

◇私は再三、橋下氏の政治をやめさせることが最優先、と言ってきて、今もそう思っていますけど、戦争法反対の運動やその前の原発反対運動を通して、「強いリーダーなんかいらない。私たちひとりひとりが試行錯誤して話し合って決めていく手間を惜しまないのが民主主義」という、かねがね私が思っていたことを、若い人はじめ大勢の人が言い出してくれていることに、本当に救われる思いがする。

そして、もとをただせば、小泉首相のころから、実に無定見に「指導力のあるリーダー」だの「わかりやすい政治」だのを、がしゃがしゃぐしゃぐしゃ電波や紙面でたれながしてきたマスメディアが、確実に橋下氏を育てたのだと確信してる。
今やネトウヨの人たちの攻撃対象で、良心的ジャーナリズムの最後の砦みたいになってる報道ステーションだって、あの頃は小選挙区制やら二大政党やら持ち上げまくっていたのを私は忘れてやしないからなー。

共産党の人気は最近上がって来てるようだが、共産党が言ってることって、この10年ぐらいほとんど変わってないと思う。ただマスメディアが絶対報道しなかったから誰も知らなかっただけで。
少なくとも全政党の言ってることを、すべて紹介するだけでいいのに、そんなことさえまるでしないまま、新聞テレビは小泉さんや橋下さんにくっついて、おべっか使って、張りついて、いっしょにウハウハ遊んでた。私にはそうしか見えなかった。とにかくマスメディアに携わる人のすべてが、絶望的なほど不勉強に見えた。

◇それを思えば、何だかだって、今のマスメディアは週刊誌から新聞から、テレビはまだ怪しいが少なくとも報道ステーションあたりは、あのころとは比べ物にならないぐらい、賢くなったしまともになってると感じる。若い人や国民だって、かなりの部分がそうなってる気がする。
ただ、それを報道機関や国民が学ぶの
とひきかえに、その間、トップと指導者は救いようもなくバカになったし危険になったし、多分憲法が変えられて共産党が非合法化されるまで、あとどれだけかというぐらい危険な改革が次々になされてきている。

何だか私は、この間ずっと、微妙にずれた例えなのはわかっているけど、愚かで冷酷で鈍感で戦争したがっている勢力と、それをやめさせようとする勢力の間で、いやもう面倒だから言っちまうと、正義と悪の間で、チキン・ゲームが続いているような気がしてしょうがない。
チキン・ゲームは、アホな若者たちが度胸試しと称して、崖っぷちに向けて車二台を全速力で走らせて先にやめた方がチキンすなわち臆病者と言われることになるレースだが、だから例えとしてはどこかちがうのだが、でもやっぱり、指導者がアホなことしないと、それに対する抵抗も生まれないというこの図式は、いちかばちかで断崖に向かって極限まで車を走らせないと終わらないのかという気分に、ちょっとなる。
憲法や政治の話だけでなく、人類の存亡全体も。

◇今週は猛烈に寒くなるらしい。そろそろふとんを冬用に変えないと。

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カツジ猫