ぼくのはなは、すなどけい(カツジ猫)
みなさん、こんばんわ
かいぬしは、「さいきん、なんだか、ぱわーがいまいち。
てんしょんがひくくなってる。
ばいおりずむも、さいてい。
こんなときに、てきと、そうぐうしたら、やられる」と、
わけのわからないことをいっています。
たぶん、しごとが、おもうように、すすまないんだとおもいます。
このまえは、ぼくが、あさ、べっどで、
くちを、ぺろぺろ、なめているのをみて、
「えいず」が、はっしょうして、「こうないえん」になったかとおもったみたいで、
しんぱいしていました。
あとで、ぼくが、にわで、えさを、はいているのをみて、
「なんだ、それで、くちを、なめてただけかい」と、
かたづけながら、あんしんしていました。
そうかとおもうと、「うちだひゃっけん」という、えらいせんせいが、
かわいがっていて、しょうせつにも、かいている
「くる」というねこが、ごねんと、さんかげつで、しんだらしいので、
「わあ、おまえも、そんなとしなのか。
もうすぐ、『くる』さんを、おいこすぞ」と、いっています。
その、えらいせんせいは、ねこが、しんだのは、すごくかなしんでいるけど、
とくに、はやじにしたと、なげいてはいないみたいです。
むかしのねこは、あまり、ながいきじゃなかったのかな。
かいぬしは、べっどでねているときに、ぼくのかおを、ちかくでみて、
「へえ、おまえの、はなは、さきっぽは、
ぜんたい、きれいな、こげちゃいろだけど、
めもとが、しろいから、うえにいくと、そのくろっぽいとこが、ほそくなって、
まゆげのとこで、ちょっとまた、ふくらんで、
すなどけいみたいになるんだねえ。
ふぁんたじーしょうせつに、ひとみが、すなどけいのかたちをした、
まほうつかいというのが、いたけど、
おまえは、はなのいろが、すなどけいなんだ」と、いいました。
「そういえば、あの、まじゅつしの、くっせつした、せいかくは、
おまえに、にてないこともないね。
でも、ぎりしゃの、しんでんのはしらにも、
こういうのって、なかったっけか。
たしか、『えんたしす』とかいうんだよ。
ねもとが、ふとくて、うえにいくほど、ほそくなるの。
おまえの、おかおのなかには、しんでんの、はしらがみえるのか。
めをひらいたら、みどりいろだから、
はしらのむこうのりょうがわに、うみがみえるってわけだ。
すごいじゃん」と、よろこんでいました。
そんなことを、いっているうち、かいぬしは、
てれびも、つけっぱなしで、ねてしまいます。
ぼくが、そばの、まくらのうえで、ねていると、
かいぬしは、ぼくの、あしや、しっぽを、
にぎったままで、ねていたりします。
かみついて、おこしてもいいんだけど、
ぼくは、おおめに、みてやっています。