1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. 日記
  4. チホンさん発見

チホンさん発見

昨日ここで、つれづれなるままに書きなぐった古い童話の話ですが、フェイスブックの方で、トルストイの「人はどれだけの土地がいるか」ではないかと教えて下さった方がいて大喜びしました。

ですが、主人公の名前が私の記憶とちがうので、気になって今朝書庫の古い童話の本をあさったら、宇野浩二氏が編した『もとのとおりになる話』というロシア童話の短編集の中に「よくばりぞん」のタイトルで収録されていて、あとがきで、トルストイの作品をもとにまとめたということも書いてありました。うれしい。あー、こうやって、どうでもいいことを調べて楽しんで死ぬまで暮らせたらどんなにいいか。でも自分の小説や論文も書きたいから、そうは行かなくて、なかなか幸せになれない(笑)。

この本はもう解体しそうなほどぼろぼろになってて、幼い私の愛読ぶりがしのばれます。そして、たくさんの話が「お金もうけの意味のなさ」について、それは面白く語っていて、ここで全部紹介したいぐらい。こうやって人は物欲や金銭欲の虚しさを、学んで行くのだと思うし、だから文学が社会に果たす役割って、かぎりなく貴重なのよね。それが失われたとき、人も国も絶対に衰退に向かう。

そう言えば、朝、仏壇でお線香を上げるとき、それが燃えつきるまで、写真の整理とかちょこまかした仕事をしていたんですが、このごろ突然「しかし考えたら国文学者でありながら、西鶴の短編を皆読んでないな」「死ぬまでに絶対読んでしまいたいな」とか思い出して、現代語訳のくっついた全集を、まずあんまり有名でない「新可笑記」から読み飛ばしはじめました。短編集だから、線香が消えるまでに三つぐらいは読めます。

そうしたら、これがまた面白いのよねえ。まったく先の予想がつかない。そしてまた、ここでもうなってしまうのが、法律や政治に対する人々の感覚がものすごく健全で厳正なこと。支配者も官僚も、武士の誇りに満ちて自分の取るべき道をきっちり選んでいる。全然お説教臭くないし、ひでえなという展開もいっぱいあるんだけど、それでもこれを読んでひとりでに心にしみこみ肌身に焼きつけられるのは、人の上に立つ人のあるべき姿、庶民でも不遇な人でもいやしさのない見事な生き方。それぞれの誇りと悟りがみなぎっています。

現実がこうだったのかどうかわからないけど、でも基本的にはこういう精神があったのだと思うし、江戸初期の西鶴の読者は町人と言っても富裕な層だったろうけど、その人たちがこういうのを読んで、あるべき道をひとりでに学んでいたのだとすると、本当に頭が下がってため息が出る。昔がいいとは絶対に思わないし感じない私だが、それでも、たかが西鶴の短編やロシアの童話に、今の日本では失われたものが、あまりにも多すぎる。特に支配者、権力者、富裕者といった人たちの中に今は皆無に近いものが。

ところで、私の愛猫、故キャラメルが蛍光灯にからんでいる写真が見つかったので、「断捨離新世紀・まだまだ現役」にどさっと補充しました。もー、彼の美少年ぶりをとくとごらん下さいませ。兄弟猫のミルクもかわいがってはいたんですけどね

ついでにソフトバンクホークスの猫好きの板東投手が、移動動物園みたいなとこで、スナネコをかわいがってる動画があって、思わず見とれて楽しんでます。メインクーンも飼いたいけど、スナネコもいいなあ。どっちも無理で、きっとカツジが最後の猫になるんだろうけど。

この動画、スナネコは最後の方に出ます。中頃は爬虫類が登場してますから、苦手な方は飛ばした方がよろしいかと(笑)。

Twitter Facebook
カツジ猫