テレビを見ていたら
○もう何日も前ですが、NHKで時代劇をやっていました。いつもはそんなものは見ないのですが、地震のニュースを見たついでにつけたままにしておいたら、松平定信が悪役になっていました。珍しい。
ところで、あまり知られていないのですが、定信には膨大な紀行の作品類があり、優雅な和文で書かれているので今の人には少し読みにくいかもしれませんが、なかなか面白い内容です。一部は「日本随筆大成」に収録されていましたっけか。
彼の奥さんも「白河夫人道の記」という、短いけれど悪くない紀行を残しています。同人誌の文芸研究誌「ガイア」に、私の翻刻と解説があります。ただ定信は何回か結婚していて、この女性が何度目の妻なのかは、かなり調べたのですが、わかりませんでした。大名家の女性の経歴は、実に闇につつまれて、まるで資料が残っていません。
○少し前の書きこみで「忘れた」と言っていたことですが、それほど、しょうもないことではなく、むしろ今は大切なことでした。
多分ずっと昔、広瀬隆さんの本で読んだのだと思いますが、だいたいこういうことが書かれていたと記憶しています。
「原発の問題ではよく、『危険だからやめろというが、そんなら電気が不足して不便になってもいいのか』という問いかけがなされるが、その問いかけはまちがっている。
これが車だったら、性能のよさと安全性のどちらを選ぶか、とユーザーに迫るような企業はない。消費者にそんな二者択一を迫るようなことは、本来あるはずのないことだ。
消費者が要求すれば、メーカーはスピードと安全を兼ね備えた車を作ろうと努力し、作る。それができない車は、ただの欠陥商品だ。
エネルギーもそれとまったく同じこと、便利と安全の二者択一を迫ることなど、あってはならないし、あり得ない。消費者のニーズに限りなく応えるのがメーカーの義務で、資本主義の鉄則だ。(そこまでは言ってなかったかな。でも、そういうことでしょう。)消費者が安全と便利の両方を求めれば、企業は必死でそれを開発し、実現させるのが当然だ。他の商品や分野では、すべてそうしてきたのに、原子力発電だけなぜそれができないのか。明らかにおかしい。」
おおむね、こんな理屈でした。まったくその通りで、ガス湯沸かし器の事故で死んだ人に、便利と安全は両立しないと言う企業がいたら、社会的に抹殺されます。
ネットでもテレビでも、この観点がまったくすっぽぬけていて、「こんなに原発が危険だからって、では電気を使わないで暮らすのですか」と、居直り、脅迫、盗人たけだけしいと言うしかない理屈がバカのひとつ覚えのようにくりかえされている。もういいかげんにしてほしい。
原発は、少なくとも今の段階では、欠陥商品です。国か企業か科学者か、何でもいいですが、国民=消費者に、安全と便利を保障するような製品をさっさと開発して持ってこい。私たち国民=消費者もまた、それを求める義務がある。未来のためにも、地球のためにも。
いや、もちろん、その前に今の状況を何とかしなくてはなりませんし、そのためにがんばっている人たちには、心からの感謝と声援を送るしかないわけですが。
便利さや快適さを追求し過ぎていた、という反省の声もしきりですが、別にそれは悪くない。そうやって文明も文化も発展するんだから。
むしろ、知らなかった(知らされなかった)とはいえ、これだけ危険なエネルギーを使わされていたという点では、私たちは全然ぜいたくはしてきていない。一見便利ではなやかでも、質の悪い安物をつかまされて、哀れな暮らしをしてきていたんですよ。私たちは、皆。