ドラマ「シャーロック」のモリアーティ。
◇完全ネタばれなので、ご注意ください。
そりゃさ、モリアーティってどうせ悪人だしというか、そこが悪人なんだともいうんだろうけど、自分が依頼うけて、料金とったかどうか知らんけど、とってるだろうな、きっと。で、そうやって請け負って、殺してやったり、だましてやったり、逃がしてやったりした、いわば彼としてはお客さんのケースを、事件を、そのまんま、謎解きの問題としてシャーロックに与えてるわけよ。当然、シャーロックは苦労しても最後にはそれを解いちゃう。そしてシャーロックもモリアーティも、このゲームを楽しんでる。ジョン・ワトスンはあまりそこんとこ感心してない…それはシャーロックにも伝わって、彼を微妙に変化させる。その関係もとても面白いし感動的だが、今はそれを話してるヒマはない。
◇シャーロックはいいよ。問題もらって解くだけだから。でもモリアーティの側は、どういうか職業倫理に、もとらないんかい、それって。
まあ、彼の組織は強大でしっかりしてるんだろうから、彼がそういうことしたって、「あの犯罪王に頼んでもだめざますよ奥さま、ライバルの力を試す問題として、その事件を使われてしまったりするそうですわよ。安心できませんですわ」なんて、クライアントの評判が広がって業績不振になるなんてことは、きっとないんだろう。
でも、ほんとに、それが悪人、だから犯罪王かもしれんのだけど、私、モリアーティのこの姿勢、このえーかげんさに、おのれが選んだ生き方としての「犯罪王」という肩書へのプライド、実行する犯罪への、責任感や愛っつうもんが感じられんのだよね、決定的に、いまひとつ。
しつっこく、またくりかえすけど、その不誠実さ、サービスの悪さ、アフターケアのなってなさ、粗雑さ、こそが、「悪」のあり方なのかもしれない。悪魔だってそういう点、どっか気まぐれだからな。まあそれ言えば、神だって気まぐれだけど。
脚本はきっと、このあたりはよく考えて確信犯でやってるんだろうとは思う。
◇でも私は、最近キャラママさんから、「勝手にライバルにされて、つきまとわれるのって、どえらく、メーワク!」ってグチを、けっこうひんぱんに聞かされてるせいもあるけど、このドラマの場合、モリアーティは結局、シャーロックへの対抗意識、ライバル意識で生きてきてて、自分の仕事か趣味だかの犯罪行為も、結局はそれが楽しいからやってるというよりは、シャーロックに勝ちたい!というのでしかないように思えて来るのよなー。
考えてみりゃ「コンサルタント犯罪者」にしても、シャーロックの「コンサルタント探偵」の向うをはってるとしか見えなくて、もうさ、その独創性のなさっつうか、いじましさっつうか、人をじいっと見守ってなきゃ、自分の生き方が決まらないし、進むべき道もわからないっつうか、そういう情けなさ、哀れさが、ふみにじってぺたんこにしてしまいたいぐらい、ムカついてくる。それで頭いいとか天才とかいくら言われてもなー。知らんわ。自分の目的や生き方を見つける能力もない人間にそんなこと言われても。
◇シャーロックの「犯罪大好き」も「猟奇殺人サイコー、燃える」も、ジョンならずとも困ったもんだと思うけど、でも微笑ましく見守れるのは、彼がそれをしんから好きで、わきめも振らずに、それ自体が楽しくて没頭してるうちに、どんどん有名になり優秀になってくところで、どう考えても、それって健全で、まっとうだ。
で、モリアーティみたいなのは、それを、そっとしておけない。
あのさ、原作のモリアーティは多分、こうじゃなかった気がする。ホームズが事件解決に夢中になって没頭するように、彼は犯罪にただはまって楽しんで、それをホームズにじゃまされるから、頭にきて排除しようとしただけで、方向がちがうだけで(←まあ、そこは重要だけど)その精神や生き方はホームズと同類なんじゃないだろうか。
このドラマのモリアーティはそうじゃない。こいつの目は、いつもひたすら、じっとシャーロックを見つめてる。自分が彼に勝てるかどうか、そればっかりを気にしてるから、犯罪を依頼してくる人たちのことなんか、まったく眼中にない。彼はそういう仕事を楽しんでないのだ。
良心とか職業倫理とかじゃなく、犯罪が好きなら、自分が携わって完成させた犯罪は、芸術作品としても大事なはずだ。でも、シャーロックに関わるためには、彼はそんなものちっとも大切じゃない。
ああっ、恥ずかしくないんだろうか。他人への執着をそれだけあらわにして。そのことに自分では全然気づかないで。
こんな人間って、根本的にどうしようもなく「バカ」なんじゃないんだろうか。
と、シーズン1を見たかぎり、私は超イラついて、モリアーティが大嫌いになってるんだが、賭けてもいいけど、これって絶対、脚本家たちはみーんな計算ずみなんだろな。