ネロならいいのかな
ちょっともう古い話だが、この前のNHKラジオの日曜討論、聞いていて本当に驚いた。もっと自由競争をやるべきで、ここまで日本経済が行き詰まったのは、やりすぎじゃなくて、やりたりなかったからなんだと。政府でさえが賃金値上げの新しい資本主義だの言い出してるときに、これはまたとのけぞった。でも片耳で聞いてたから、どの党の誰が言ったかわからなくて、ずっともやもやしてた。
ツイッターにはあげときましたが、ちゃんと以下のように指摘して下さってた人がいました。ありがたや。
#日曜討論 で維新
「経済成長には規制改革」「新自由主義の行き過ぎではなく、むしろ自由競争が足りない」「解雇ルールの見直しで雇用の流動化を」
コロナ禍で、どれだけの人が仕事を失い生活に窮していると認識しているのか。この期に及んで自己責任を強めよと煽る、どこまで現実と乖離しているのか。 https://t.co/i2crpBIUSZ— 山添 拓 (@pioneertaku84) January 30, 2022
で、やっぱり維新の人だったのですね。もうまったく、いろいろとすみずみまで、維新って、ろくなもんじゃないな。
それと、この討論会に限らないけど、コロナ対策の不備をつかれるたびに、自民党の人は「もっと、びしっと規制したいけど、なかなかそれが難しい」みたいな言い方で逃げることがあって、それも「人権とか憲法とかがあって、なかなかそこがきつく言えない」というニュアンスを出したくてしょうがないって気がするんだよね。考えすぎと思われそうだが、ほのかな確かな流れとして。
聞いてると、かのローマの暴君ネロ皇帝が、ローマに放火して焼いた自分の罪が、暴かれそうになって、市民から暴動起こされそうになって、せっぱつまったとき、キリスト教徒のしわざだと嘘ついて罪きせて、キリスト教徒の大虐殺で、市民の怒りを解消したって、あの図式を思い出さずにはいられない。
いよいよコロナや国防やその他が行き詰まったら、政府は全部憲法のせいにして切り抜けようとするんだろうな、昔も今もアホな指導者がせっぱつまって苦し紛れに考えつくことは同じだから、とつい思ってしまうんですが、どうなんだろう、ヒトラーにたとえられるより、ネロにたとえられた方が、こういう人たちはショックが少ないんだろうか。
久々にレンタルショップに行ってDVDを借りて来ました。「ハワイ・ファイブ・オー」のファイナルシーズンです。しばらくNHKラジオとライトノベルの文庫本の、のどかさとぬるさにひたってたせいか、もうジェットコースターのような、アクションやらバトルやら爆発やらのシーンのオンパレードに、目まいがしながら笑ってしまう。スティーブもダニーも皆元気で何よりですが、ラストはいったいどうしめくくるつもりなんだろ。楽しみのような恐いような。
節分ももうすぐで、窓の飾りもあと数日です。最初のころに買った小さなガーランド、玄関に張っていたのですが、あらためてつくづく見ると、針金細工がかわいくて、センスがよくてお洒落で、いい意味で目立たないので、節分が終わっても、魔除けをかねて、このまま飾っておいてもいいなあ、とか思い始めています。