バンクシア
この前、花屋さんで、迫力ありすぎな植物を見かけた。何かに使うということだったのだが、今日立ち寄ったら、結局使わなかったそうで、売り物になっていた。怪物めいた姿が気に入って、思わず買ってしまった。バンクシアという名前だそうな。挿し木で増えないかしらと言ったら、まあ無理だろうし、ドライフラワーにした方がいいですよと言われて、水なしで飾っていたのだが、何だか気の毒で、つい水を入れてしまった。どうなるんだろ。


今日は気温は高いが、風もあってそこそこ涼しく、庭仕事ができそうでもあったのだが、結局家にこもってしまった。「高慢と偏見」の最近の方の映画のDVDが届いたので、それでも見ながら寝ようかな。
友人との電話では、新聞はそこそこ参政党の政策のとんでもなさを紹介もしているようだが、テレビはまったく知らせない。なんとか普通の政党に見せるように必死になってるようにさえ見える。こっちも忙しいから真剣に聞いてるわけじゃないが、ネットの情報で見る限り、この政党の言ってることの数々は、白昼に公道で口にするのははばかられるほど、出まかせと狂気が入り混じった危険きわまりない内容で、自民党がいやだから、これにでもしとこうと思ってる人がいるなら、とんでもないとしか言いようがない。人間の卑しさや汚さをエサにして生きてるとしか思えない発言の数々は、近寄るだけでも危ない醜さを放出している。それにひっかかる人はともかく、今一番私が気になるのは、「まさかあんなでたらめの団体が力を持つことはないだろう」と、たかをくくっている、そこそこ良識のあるまともな人たちだ。そんな人たちにこそ言いたい。油断しちゃいけない、見逃しちゃいけない。みっともなくても、ばかばかしくても、こんな危険な存在とは、ちゃんと向き合って、戦わなくちゃいけない。希望的観測なんか今持っている場合じゃない。
昔、ある大学に勤めていた時、センスのいい、聡明で、すぐれた研究者として知られた大先生が、アホくさすぎる学内問題になりふりかまわず一兵卒のように立ち向かうのを、私は息をつめながら見た。思えばその他の私が尊敬する第一線の研究者の大学者は、ここぞという時には、そういう泥にまみれる戦いに、手を染め足を踏み込むことを決してためらわず、恐れなかった。いつもそうすることは無理でも、時にはそうしないとならない時点が歴史には、世の中にはある。参政党の出現は、そういう事態のように私には思える。
動けば傷つく。しゃべるのは危険だ。考えるのは疲れる。そんなことはわかっている。誰だって同じだ。それでも、何もしないでいると、もっとずっと、きっとひどいことになる。自分にとっても、誰にとっても。