ピンクの墓
キャラママさん
ピンクの敷石の墓、今の所は大丈夫の様です。年月を経たらどの程度石が劣化して汚くなるのか気になりますが、その頃迄は生きて居ないでしょう。(笑)
我家の躑躅は一斉に咲かず、あちこちで次々に咲きます。それが幸いしてまだ少し残って居るので、明日母と花見をしながら食事をしようと計画して居ます。
介護保険でヘルパーさんが食事と掃除に来て下さって居るのですが、同居人が居るとサービスが受けられないという事なので私は最近殆ど家には居ません。ただ調べて見た所では「同居人が著しく疲労して居る場合にはサービスをしても良い」との規定はある様です。しかしそれを主張する気にはならないで居ました。
所が今日私が母家で家事や書き物をして居たら夕方の掃除に来て居たヘルパーさんが私が居るから帰ると事務所に連絡して帰ろうとして居ました。私は外出して居て戻って来て家の前で会いましたら「お探ししたけれどいらっしゃらなかったので、お帰りになって居るから帰ると事務所に電話しました」とおっしゃいます。
「お探ししていらっしゃらなかった」ら、それは家に居ないと言う事の筈で、どういう趣旨か全く話が分からず何度も聞き直して漸く、「家人が居たらヘルパーの仕事は出来ない」という規則に拘って居られるのが分かりました。
私は母の家には行って居らず、夜も寝泊まりして居らず、事実上隣家に等しい母家に、仕事の資料があるのと、民宿に使って居る為、母家の掃除や洗濯をしなければならないのとで時々来て居るが、その時も規則に抵触したくないから母の家には顔を出さない事をお話し、「私が母の介護をする事は生計を維持する為には不可能で、もし隣家に時々帰って其処を片付けたり其処の資料を使って仕事をするのも駄目と言うなら私は此処にはもう一切参りません」と申し上げたら「自分もそんな状態になる事は決して望んで居ないが、車が止まって居ると家の人が帰って居るのにヘルパーが来て居る、と文句を言って来る人も居るかも知れないから」とおっしゃいました。
御帰りになった後、事務所にも電話して事情を説明し了承して頂きましたが、猫を殺せと言われた時の事も思い出して仕舞いました。
夜、母の家に行って尋ねると、「小さい子供が一人居ても同居人が居たらサービスは出来ない」とそのヘルパーさんは母におっしゃったそうです。介護保険には様々な曖昧さや判断の難しさが有るのは承知して居ますが、根拠が必ずしも明確でない色々な判断がされて居る様に思います。
車が止まって居ると文句が行くとの件にしても私は以前に、「車を置いて仕事や旅行に行く事も多いので、私の車が有っても私が隣家に居ると母に教えたりしないで下さい。間違った情報で母が混乱する恐れも有ります」と責任者にお伝えしてそれも理解して頂いて居たのですが、もう一度念を押して置く方が良いのかも知れません。
つくづく思う事ですが、介護保険でもそれ以外でも家政婦さんやヘルパーさんを雇って家に来て頂くのは身体や心が弱ってからでは遅すぎます。精神的にも肉体的にも充分な余力が有り、戦いや交渉をする能力が残って居る内にこの種の関わりは持たれる事をお勧めします。
もちろん明日の昼食のヘルパーさんは私が居るからと事務所にお断りしました。
こういう事が度重なると、母の生きて居る間は我慢もしますが、自分自身はこの種のサービスを受ける前に自分で命を絶った方がずっと気楽だと思います。深刻では無く過激でも無く、ごくごく普通の感情で自然にその様に心が動いて流れます。弱気なのではなく、前向きの健康的な発想として。