ペットボトル
昨日、猫用の金網で囲った小庭に出たら、コンポストのそばに植えてる梅の木のつぼみが開いていた。わが家では今年初だ。のべつまくなし、四方に枝がのびるので、時々私がむちゃくちゃに刈り込むのだが、そのたびに「桜切るバカ、梅切らぬバカ」と、昔どっかで聞いたことばを思い出すぐらい、平気で復活して前以上にのびひろがる。そのわりに花は少ないのだが、一応咲いて喜ばせてくれる。
なまめかしいような濃いピンクのつぼみもいっぱいついているので、これから開いて行くのだろう。
体調はかなり治ってきた。ばてていたので、お茶をいれるのがめんどうくさく、しばらく飲んでいなかったペットボトルの麦茶を飲んで過ごした。かなり買いためてあったからよかったんだけど、毎回閉口するのが、ふたの固さだ。
うっかり開いてはずれたら困る用心とかいう、そんな程度の固さじゃない。布巾や器具でつかんで力まかせに回しても、死んでもふたが回らないし、開かない。何だか二重になっていて、いったん動いてしめた!と思っても、最後のふたをちぎるというか、はずすという段階でまた、ものすごい力を要するのだ。
私は毎回思わず「年寄りを殺す気か!」「年寄りをこんなに苦しめて何が面白いんだ!」と、全メーカーに向かって呪いのことばを吐いている。
しかし考えて見れば、まあ私は握力がもともと弱いほうだから基準にはならないかもしれないけど、このふたの固さたるや、高齢者だけじゃなく障害者にだって、たいがいな負担ではないだろうか。
数年前、体調が悪くて療養状態だったとき、何十分も奮闘しても、ペットボトルが開けられず、のどはからからなのに水道水しか飲めず、絶対血圧もダダ上りだろうと思って、ついに何度かご近所のご主人に開けてもらった。その方もかなり苦戦しておられた。いったい何の必要があって、あんなにふたを固くするんだろう。
こんな時だから、つい能登の被災地のことを連想する。そうすると胸が泡立って苦しくなる。若い人や強い人が去ったりいなくなったりして、孤独に生きている高齢者や病人や、指先の力の弱い人たちが、やっと飲料水が手に入ったと喜んで、ペットボトルのふたを開けようとして、ぴくりとも動かせないときの、絶望や無力感はどうだろう。そばにいたらすぐに開けてくれるだろう、いなくなった人のことをあらためてかみしめて、一人になった家の中で、つらい思いがいやますだろうと、思っただけで、悲しくてやりきれない。
こんな気持ちを国会でにやにや笑って居眠りし、宴会で寿司やすきやきを食いまくり、マスカットやブリに舌鼓を打って「お金持ちになった気分」とか、のうのうとぬかしているあの最低男たちは、いったい想像もできないのだろうか。そのことにもまた絶望する。
そして、飲料メーカーの方々、どんな事情があるのかは知りませんが、ペットボトルのふたが常人には開けられないぐらいの固さになってる事実を、せめて知っておいて、できたら早急に改善して下さい。
ちなみにネットで調べたら、「うまく開ける方法」ばかりがやたらと多く紹介されていて、あんなに固くする理由は結局説明すらされてなかった。開けられないのはリューマチその他の病気じゃないかとも書いてあった。私にはリューマチの気はないし、ふざけんなとしか思わないが、もしもそういうことがあるのだったら、なおのこと、そういう病気の人のことも配慮して何とか対応しても罰はあたらんのじゃないだろうか。