マクワウリ
今日で大相撲も終わりか。この前見ていたら、行司さんの衣装がものすごく派手だった。真っ黒に赤の帯や房とか、淡い華やかなピンクとか、今まで見たことがないような色だった。新しい試みかな。私が気づかなかっただけかしらん。
本当はこの後はオリンピックと高校野球を楽しめるはずなのだが、高校野球は何しろこの熱波の中での試合が、もう恐くて見ていられない。アナウンサーはよく平然と中継できるものだと感心する。
オリンピックは予想はしていたものの、またメダルの数と国威発揚ばかりの報道が、こうも暑いともううんざりだし、先の東京オリンピックにまつわるいやな印象ばかりがどろどろよみがえってきて、とても素直に楽しめない。というわけで、夏休みはせいぜい映画と美術館に行くぐらいしか楽しみがない。仕事が進むといいけれど。
とは言え、オリンピックの開会式は、マリー・アントワネットの生首を並べるとかいう、とんでもない演出もあって、なかなか刺激的だったらしく、ちょっと見ておきたかったような、やっぱり見ないでよかったと思うような。
昔だったら私もせいぜい笑い転げて、さすがフランス、革命を国の背骨として肯定している姿勢は立派だと感心もしたにちがいない。しかし、多分十年ぐらい前と思うが、何に書いたのか覚えてもいないのだが、私にしてはけっこう画期的な新しい価値観が生まれて、やはり暴力革命は基本的に否定すべきだし、フランス革命の貴族や王族の公開粛清は負の側面としてとらえておくべきだという考えに変わった。
どういう流れでそうなったのか、思い出したらまた書くが、それなりに私にとっては必然的な変化で、その中で、ソ連のペレストロイカの中の著名な(って名を忘れたのだが)政治家の一人が、はっきりフランス革命を批判しその暴力性を否定していたのを読んで、心強く快い驚きを感じたのも覚えている。人類は、歴史は、何だかだ言っても進歩していると、ほのかに確信できて、幸せだった。
それがもう、この今の世界のていたらくを見ると、絶望はしないが道は遠いなあとあらためて思うし、フランスの国家も市民も、あの革命の総括はこんなものなのかと思う。広島長崎への原爆投下とか宗教裁判とか魔女狩りとか、冗談にしてはいけない、恥ずべき過去に属することってやはりあって、これもその種の一つではないのかな。あの革命を支持し誇りにするにしても、それとこれとは別だと思うよ。
知り合いの方から、立派なマクワウリをいただいた。考えてみたら、私これを食べるのは生まれて初めてじゃないかしら。食べてみると、スイカやリンゴみたいな甘さはないが、そういう甘さがしつこく感じられてしまうほど、淡白でさわやかで、とても食べてて気持ちがいい。開高健が『新しい天体』の中で、新しい食べ物の美味を知るのは、天体の発見にも等しい価値があるとか書いてたと思うが、この年になってこんな体験をするのは、実に幸運で、長生きしてるといいこともいろいろあると、あらためて感じる。
傷んでいて捨てるしかないというピーマンもどっさりいただいた。玉ねぎやミンチといっしょに焼き飯にすると最高なので、さくさく食べて、あと三個にまで迫った(笑)。
私の小さめのフライパンで、焼き飯を作るのはそれなりに大変で、長めの木のヘラを使ってかきまぜていたが、ふと、上の家の台所の壁にかけっぱなしにしていた、金属の長いさじを思い出した。
これこそもう何十年も前に、何につかうというあてさえなく、ただ形がかわいいからと買って、飾りに壁の高いところにかけていたのだ。実用に使う日が来るなんて考えてもいなかった。
さっそくとりおろして使ってみると、ばっちりと役に立った。木のヘラもリストラするのはかわいそうだから、せいぜい併用しようと思う。