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ユーティリティ人生?

車は何とかまだ動いています。
というか、毎朝、出かける前に水を入れてやったら、どうということなく走ります。
どういうか、最後まで、がんばらせて申し訳ないような。愛着がつのって困ります(笑)。

でも、歩いて買い物に行く計画もあきらめてはないんだよなあ。明日あたり実行したい。
そして、いつ車が動かなくなるかもしれないと思うと、ついいろんなものを大量に買ってしまいます。すでに、猫のかんづめは一月分六十個買いだめし、今日はずっと入れてなかった、カツジ猫のトイレの砂を二袋買ってきました。このところ、やつは律儀に砂場にトイレをしているし(ときどき、敷石の上にうんちをしている。それはそれで、片づけやすくていいんだけど)、ごほうびもかねて、明日入れてやろう。

江戸紀行のカードとりは、「右よし野」を終わることにして、岡田真澄という国学者の描いた「月園翁旅日記」にかかりました。でも有名な人だし、もう誰か研究してるんじゃないかという悪い予感がするのよね。この人、上総方面が好みらしくて何度も行ってる。近郊の短い旅の紀行を集めた、まあ短編集ですね。こういう旅も当時はそこそこマニアが多い。清水春臣とかもそうだし。と思ったら、旅先で会ってるみたい。

しかし、こんなペースではなあ。もう何もかも放っておいて、こういう研究作業だけに集中したいけど、それもどうなんだろ。
このごろ、ぼやっと思うのよね。社会的政治的関心持って、それなりの行動や活動にも時間をさいて、そんでもって死ぬときには膨大な未整理資料の山を、ごみのようなまま残して、それをながめてため息つきながら、でも平和や民主主義は何とか守ったと思えるのと、一応自分の研究はかたちになったけど、戦争は始まり原発は事故り、人権も何もふみにじられるようになった暗い世界をながめながら、自分の研究の仕事だけは片づいたささやかな達成感を抱くのと、どっちがより幸福というか、より不幸なんだろうって。

ついでに言うと、家も暮らしもごみためのようにごちゃごちゃにして、服もぼろぼろ髪もぼうぼうで、見るかげもない姿だけど、その二つ、研究と世の中は何とか自分の義務を果たして死ぬのと、中島京子「小さいおうち」の奥さま夫婦みたいに、(以下ネタばれかも)きれいで楽しい幸せな毎日を送りながら、じわじわ戦争にまきこまれ独裁政治に首をしめられて、最後は防空壕で蒸し焼きになるのと、どっちがより耐えられるんだろうかとか。

そんなことを思いながらカーラジオを聞いてると、関電へのわいろの話がさすがに盛んに取り上げられてる。みっともない、汚らわしい話だが、原発や基地って、しょせんはこうなるのよね。ついでに言うと世界遺産も。地元の住民の意見を聞かず、情報を公開せず、ひたすらことを荒立てないよう、批判の声が上がらないよう、そのことだけを専一にことを進めるものだから、おのずと必然的に、民主主義が窒息し、地方自治が死に絶える。血液が回らなくなった手足のように、自治体の組織が壊死して腐敗して行く。私は沖ノ島の世界遺産の進め方の中で、それをリアルに見ました。たしか鎌田慧だったかが書いた、六ケ所村の話に、原発はそれを作ろうとする過程で、地方自治を破壊するとか書いていたけど、その通りです。そのあげくの果ての今回の件ですよ。図式というか方程式がわかりすぎてて退屈なぐらいです。

毎日新聞では、法政大学の田中優子学長が映画「主戦場」を推奨しながら、具体的な団体や人名をあげずに、「そうしたら脅迫されるから書けない」「ただこの映画を見てほしい」と強調。さすが国文学者だけに、計算しつくしたレトリックで、書かずに書きつくして訴えている、日本の現状だ。一方では与良さんがコラムで、愛知の不自由な何とかの展覧会が再開されたのに対し、予算を与えないという処置を文科省がしたことによって、今後は政府を批判した催しができないことに道を開くという憂慮をされている。

あーあ。ほんとに、何からやったらいいんだか。
忙しさの軽減のために、ここ数日、スーパーで弁当を買ってきて食べてみたりしてたのだが、ついやっぱりまた食材を買いこんでしまい、冷蔵庫は野菜や肉や魚で満杯。明日は料理もがんばらないと。安物の花とパセリも買ってきたから植えないと。
ソフトバンクの工藤監督は内外野どこでも守れるユーティリティ選手が好みらしいが、野球はともかく現実生活で、こんなにあっちこっち面白がって手を出していたら、絶対すべてが中途半端で終わるよなあ。我ながら知らんぞもう。

そう言えば例の「野球天国」に、そんな選手の話があったっけな。一度紹介したっけか。まだみたいな気がするから、書いとくか。

昇格

ドジャースのなんでも屋プレーヤーのディック・ウィリアムスは、その年あまりゲームに出してもらう機会がなかった。しかしホームラン打率ではなおも三割七分五厘をマークし、ファイトはいささかも衰ろえを見せなかった。シーズン初め、正捕手のロイ・キャンパネラが手に負傷をして一時休場ときまると、ウィリアムスは陽気に言った。
「今までも俺は六番手の左翼手で五番手の一塁手、おまけに四番手の三塁手だったが、その上に今度は三番手のキャッチャーだぞ」

あはは。マジでこういう人生になりそう、私。いや三割七分五厘は無理だけど。

 

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カツジ猫