ラスボス
庭仕事の最後は、玄関前のユキヤナギの刈り込みと計画していたのですが、これが思わぬ難物でした。
ずうっと放っておいたからしかたがないんですが、キンモクセイとユキヤナギが、のびまくって、もつれあって、もう何が何だか。
結局ノコギリで、枝だの幹だの切りまくって、それでも、ヤブガラシとかいうやつか、似た別のやつか知らないが、蔓草もしつこくはびこって、ユキヤナギの上からおおいかぶさっていて、だいぶ枯れてはいるが、どうにも取り除けない。
とうとう、ユキヤナギはもったいないが、春の花をあきらめて、短く刈り込み、キンモクセイも根に近いほどの位置で、切ってしまうことにして、みぞれもちらつく寒さの中で、徹底的に刈り込んだ。
ものすごい量の枝や幹を切ったが、それでもまだ終わっていない。まったく最後の最後で、思わぬ強敵とめぐりあったって感じ。
書きたいことも山ほどあるけど、それどころか。明日の大晦日も、この作業に終日追われそうだ。どんな年末を過ごそうかとあれこれ考えていたけれど、ひとりでにこうやって、予定が埋まってしまった。
ひょっとしたら、元日にも作業を続けていたりして(笑)。
幸い、庭の他の部分は普通にきれいなままである。南天の実は赤く色づき、猫よけに適当に植えたナデシコが、けなげにピンクの小さい花を一つだけ咲かせている。水仙も次々開きはじめた。
今、ラジオで、有名人のお墓巡りの番組をやっていて、マルクス・アウレリウスや武田信玄とナポレオンと並んで、「白バラ通信」のゾフィー・ショルが紹介されている。ドイツでいかに有名かということも話されている。映画の紹介もされているが、あの映画のゾフィーは人間らしさ、娘らしさを強調したかったからか、繊細で死刑の前に脅えている風に描かれているのが、私は気に食わなかったんだよね。実際の彼女は、死を前にしても明るく昂然としていたらしいのに。
不満と言えば、同じNHKのラジオで、毎日曜日、奥田英朗「家日和」の各短編がドラマ化されてて楽しんでいたのだが、前回は私が一番好きな「家においでよ」だった。このドラマシリーズ、他の作品もそうだが、適当に筋を変えたり略したりしていて、まあそれもそうひどくはなかったけど、この作品は、改変がひどすぎたなあ。妻や女性の立場を配慮しすぎてか、原作の一番の面白さを完璧に壊して、ことごとくツボをはずした、つまらない退屈な話に成り下がってた。
アメリカでリメイクされた「シャル・ウィ・ダンス」を見たときも思ったが、男性(夫)が、妻に隠して秘密の冒険をする楽しさを、まともに描くのが、どうしてそう、家庭や妻に対して失礼だと思うんだろう。妻や女性に気を使っているようで、実は逆にとことん失礼なのじゃないだろうか。だってこれは、男女を問わず、妻だって女性だって、同じように抱いてる夢だし欲求だし、それを認めないのは、妻や女性のことも、すごく浅くしか見てないんだとしか思えない。
ちなみにこの映画、日本のオリジナルは、そのへんの危うさや不健全さを十分に理解した上で、うまーく処理している名作である。さすがは周防正行監督だ。「シコふんじゃった」でもそうだが、女性を深く理解し尊重している人でなくては、こんな処理は決してできない。