ロウの思い出。
◇「祖母の日記」のコーナーの二月の末に登場している、ロウという犬について。
わが家には長いことボビーというシェパードがいて、今思うと散歩に連れて行ってやるでもなく、ずっと庭につながれていました。居間から見える正面にかなり大きな犬小屋があって、その回りでいつも暮らしていました。右側に手押しのポンプがあって、水はそこで汲んでいました。水道もそこから水を上げていたんじゃないかしら。
ボビーの姿は庭の一部のように見慣れていました。あまり賢くもなく勇敢でもなく、適当に吠えては番をしているような普通の犬でした。昔は皆そんな風に犬を飼っていたと思います。私もときどきなでて、話しかけたりしていましたが、ボビーはおとなしい犬で、私は一度も危険を感じたことはありません。かわいがってやっている時に私を見上げる、シェパード特有のちょっと悲しげな目が印象に残っています。
それが死んで、新しい犬を探していて、知り合いの人が連れて来たのがロウでした。同じシェパードでしたがボビーより一回り大きく、強そうで顔も精悍でした。犬には絶対に出来ないという、はしごを上る訓練も受けていて、連れて来た人が、家の屋根にはしごをかけて、登らせて見せたのを、皆で見物したのを覚えています。青い空を背景に、はしごを上って行くロウの姿を今も目に浮かべることができます。
でも、そうやって、いろんな訓練を受けて厳しくしつけるのに、昔のことだから相当暴力も使ったようで、性格は今だったら殺処分になったのじゃないかというぐらい凶暴でした。猫は何十匹もかみ殺していたし、人間にも大けがをさせていました。まったく昔はのん気なもので、私は中学生ぐらいの子どもだったのに、そんな家でよくあんな犬を飼うことにしたよなあ。
持って来た人はそういうことは皆ちゃんと説明してくれたから、別にサギではありません。特に頭をなでられるのが大嫌いで即かみつくので、絶対に頭にはふれないようにしてくれ、かわいがる時は、のどをかいてやるようにしてくれとのことでした。
◇ロウが連れて来られたとき、たまたま母はいなくて、その説明も聞いていなくて、なので、その日かその次の日かに母はすぐにロウのところに行って、よしよしと頭をなでたら、いきなりがぶりと手のひらの親指の付け根のふくらんだところに両側から牙を立てられました(笑)。
母は昔、中国で何か事変があった時、小学生で、他の居留民の家族とともに一家で廊下に並ばされて一斉射撃を受けたことがあるそうで、「それ以来自分は恐いものがなくなった」と常日頃豪語してた人です。「風と共に去りぬ」や「45歳 部長女子」に出てくる老婦人たちが、似たような体験で決定的に何かが変わったことを言っていますから、そういうことはあるのでしょう。まあ、もしかしたら母の場合、そういう体験がなくても同じだったかもしれないと私はちょっと思ったりします。母が何かを恐がったこと、泣いたこと、ため息をついたことを、私は見たことが一度もないのです。ちなみに母は今でも中国や中国人が大好きで、老人ホームでもいつも「中国はいい国よ」と皆に言っているそうです。
で、母はその時もとっさに、牙は深く刺さっているし、ここで手を引いたら肉が持って行かれてちぎれるなと思い、さてどうしようかと、そのまま黙ってしばらく考えていたそうです。そうしたら、犬の方が恐くなったのか、口を開けて歯をはずしました。
母は穴のあいた手のひらをロウの鼻先につきつけて、「誰がこんなことした?」と聞いたところ、ロウはものすごく恐縮して顔をそむけ頭をたれ、尻尾をまいていたそうです。
◇ロウは凶暴な犬でしたがそれは小さい頃から虐待されて訓練されてきたからで、頭はすごく良かったし優秀な犬だったのだと思います。ちゃんとかわいがられてしつけられて育っていたら、どんな名犬で幸福になったかと思うとかわいそうです。わが家で暮らした晩年がそれほど幸福だったかはわかりません。でも、その最初の出会いからまちがいなく、ロウは母を尊敬し主人として崇めていたようで、ああいう性格の犬にとって、それはせめてもの幸せだったかもしれません。従ってもいいと認める主人に出会えたことは。
もちろんロウの性格はそれからも変わらなかったし、めったに近づかなかった私以外の家族は皆かまれました。祖父も何度かかまれたし、特に祖母は食事をやっている時に(「犬や猫がものを食べている時に、絶対手を出すもんじゃないのに、おばあちゃんはバカよ」と母は全然同情していなかったけど)手首にかみつかれて、本当にごっそりと肉をくいちぎられました。「傷口の赤い肉に、やろうとしたごはんの残りのごはん粒がくっついていると思って取ろうとしても取れないので、よく見たら肉の間の脂肪だった」と祖母が後で言っていたぐらい深い傷でした。
私は何度かロウののどをかいてやったことがあります。気持ちよさそうにしていましたが、何が気にさわるのか突然低くうなり出すことがあって、そんな時は私はすぐ離れました。そういう時のロウの顔は鼻にしわがよって恐ろしくなり、母が「侫猛な」とよく言っていた不気味さがありました。特に底なしに暗い目の色は今も忘れられません。
その頃わが家は山羊を飼っていて、昼間は近くの土手につないで草を食べさせていました。ロウは時々鎖を切って脱走し、山羊におそいかかりました。猫を追いかけて家の中に突進して来たこともありました。
山羊の狂ったような鳴き声が聞こえると、母は稲妻のように飛び出して行って現場にかけつけ、全身でロウをひきはなしました。たしか私は何度か母と散歩中のロウの背中に乗せてもらったことがあると思うのですが、ロウは私の重さなど屁とも感じていないようで、とにかく強い犬でしたから、母が全力でつかみかかっても力でかなう相手ではありません。母はロウが一番いやがる耳を両方つかんで、引き戻していました。そうすると何とか離れたようですが、もちろんロウは怒り狂ったようです。しかし、そんな時でも彼は決して母は攻撃しませんでした。もう何年もたってからでも、母がかまれた手の傷跡をつきつけると、最初の時と同じように、顔をそむけていやがったそうです。
◇それでも、興奮している時は何もわからなくなっているので、山羊や猫を追っかける時、ラグビー選手のように横からタックルしてくる母を引きずって何メートルも走ることはよくありました。一度母は、そんな時いきなり目の前がかすんで何も見えなくなり、どうしたのかと思ったらロウのぶっといしっぽが母の眼鏡を直撃し、眼鏡がどっかにすっとんだので
、超近眼の母は盲目同然になったらしいです。それでも母は犬から離れなかったし、結局一度も言うことを聞かせられなかったことはなかったはずです。
一度は裏の川でロウが遊んでいるとき、向かいの岸で洗濯しに来たおばさんが、「犬をつないじょくれー」とどなったので母は承知してロウをつかまえようとしたら、彼が言うことを聞かず、ひきずられて川の中を向こう岸まで行ってしまったこともあるようです。そこでようやくロウがおとなしくなって、つながれたので、あたりを見ると、頼んだおばさんの方はその様子のすさまじさに恐れをなしたか、もう影も形もなかったそうで(笑)。
◇母も相当な暴君なので、雨で水かさが増した川に「行けっ!」と命令してロウを飛びこませ、向こう岸にわたらせるようなことは時々していたそうです。何のためにやったのか、訓練なのか指導力をためしていたのか、よくわかりませんが、そんな時、流れが激しくて恐いのか、ひゅんひゅんと哀れっぽい声で鳴いてもロウは結局川に飛びこんで向こう岸まで泳いだそうです。
母のしていたことが、どのくらいひどいことなのかはわかりませんが、少なくとも母がそのようにしてロウを支配していたからこそ、彼が山羊や猫を殺したりするのをやめさせ、ぎりぎり人間に従わせていたのだと思えば、母のしたことも許されるのかもしれません。
もし母がいなければ、彼を制御できる人間はわが家にはいなかったでしょうから、頭がよくて気性が烈しいだけに彼はどんどん人間に従わなくなり、多分早々に殺されてしまったのではないかと思うのです。
山羊から引き離したりする時に母は耳をつかむだけでなく、力まかせにロウをたたいていました。普通なら絶対にかみ殺されるような、そういうことをいくらされても絶対に母のことは攻撃しなかったロウの中の制御装置を私はすごいと思います。どこかがどうしようもなく狂ってこわれていたけれど、彼は賢い犬でした。彼の精神は偉大で能力もとても高かったのでしょう。
◇大学に行って家を離れてからは、ロウと会うこともほとんどなくなって、祖父母ももう年とって、多分ロウも老いたのでしょう。私が最後に聞いた彼の話は、実家の母家の床下で彼が死んだということでした。その頃はもちろん、まだ新しい家はなくて、母家だけでした。
ロウはまだ立派な体格だったようです。母は「あんな重いのをどうやって引き出そう」と、悲しみよりもそのことに頭を悩ましていました。
幸いそのころ居てくれたお手伝いさんが、ものすごく大柄の田舎出のたくましい女性でした。彼女は床下に寝転んで「よいしょう!」とかけ声をかけながら、長いことかかってロウの死体を引き出してくれたそうです。母はほっとして、その頼もしいお手伝いさんと一緒に、裏の畑のイチジクの木の下に彼を運んで埋めました。そこは、その後整地して母たちのゲートボール場になり、更に今では私が叔母からもらった遺産で建てた、母の隠居場の新しい家があります。そうか、あの下にはロウの魂も眠っていたのだなあ。
◇昨日も今日も本当に涼しく、快く仕事がはかどります。ただしあいかわらず勉強だけは、さっぱりする気になりません。当分は家の片づけに邁進しようと思います。今日で八月も終わり、夏休みも終わり。子どもたちの声や姿も消えて、町も静かに少し淋しくなるのでしょうか。庭のシーサーにとまっていたバッタも、いつの間にかいなくなっていました。