カルイ作品をカルク読めないのがくやしい。
◇サラ・ジェシカ・パーカーのDVD「ケイト・レディが完璧な理由」を、のんびり見た。実は全然完璧な女性じゃないのがご愛嬌。しかし、本当に女性っていうのは、まあ最近は男性もだろうが、それでもやっぱり特に女性は仕事をばりばりやろうとしたら、そして家庭を持とうとしたら、がんばればがんばるほど罪悪感を持たなければならないという、この図式は、何とかならないものだろうか。このストレスだけでも人間相当、身体をこわすと思うのだが。
私は以前、あっちゃこっちゃで仕事をしていたとき、つくづくもうイヤだったのが、「すみませーん」と言ってはどっかを抜け出し、「すみませーん」と言っては遅れてかけこむ、という状態が日常化していたことで、どっち側から見ても私は欠陥人間だろうが、私自身としてはフル回転していて、それを誰も知らないという状況だった。まあそれは自分でまいた種と言われりゃそれまでだけどさ。
◇「祖母の日記」を見ていると、祖母はこれだけ働いて、いろんなことに耐えていて、結局一度も誰からもねぎらわれたりほめられたりしたことはなかったのだと、本人もまったくそれを期待してはいなかったのだと、あらためてわかって呆然とする。花束やケーキや表彰状とは祖母は一生無縁だったし、叔母が還暦や喜寿の祝いをした時もそれほど嬉しそうでもなかった。彼女は多分、そんな評価をされることすら、どこかで軽蔑していたのではないかとさえ私は感じている。支配者のように、王のように、神のように生きた一生だったのだと。多分、大勢の無名の女性がそうやって生きて、死んで行ったのだろうと。
祖母は何度か幼い私に、ふとんをしいて皆の寝る用意をしながら、「ああ、夜が一番楽しい。夜が一番好きだ」と心からという風に述懐した。同意や疑問を求める口調ではまったくなかったから、私は黙って聞いていたが、それをどうしてよく覚えているかというと、まだ幼くて、多分ひょっとしたら小学生にもなってなかったかもしれない幼児の私自身が、まったく同じように感じていたからだ。私は朝が嫌いだった。夜が来て、一日が終わるとほっとして幸福になった。幼い私はなぜかとても、生きることに疲れていたのだ。皆にかわいがられて、ほしいものは何でももらって、とても幸福な子どもだったのに。
私は春がずっと大好きだったが、それは別れの季節だったからだ。それまでつきあっていた人たちとの生活を無事にすませて、正体をばらさないままで別れることができたこと、相手を不幸にせず自分も不幸にならなくて、そこそこのいい思い出を残して消えてしまえることに、いつも安堵と充実と快い疲労を感じていた。夜が好きという感覚もそれとどこかで重なるのかもしれない。
もう題名も忘れたが、井上靖の何か恋愛小説で、久しぶりに会った女性が男性に、自分が朝と夜のどちらが好きだったか覚えているか、と聞く。男は覚えていなくて、朝だったかと思ってそう答える。すると女は淋しそうに笑って「だめ」と否定し「朝は空気が硬い感じがして、夜の方が好き」とか答える。中学か高校の時に読んだのだが、すぐに祖母を思い出した。祖母はまだ元気でいたが、私はそのことをわざわざ話すほど祖母と何でもしゃべりあう関係にはなかった。祖母を好きだったし、祖母にもそれはわかっていたと思う。だが二人の間にはいつも、淡い霧のような距離があって、たがいに多分それが好きだったこともあって、さりげない言葉しかかわしたことはなかった。
誰にも自分を見せなかった、夜が好きだった祖母。彼女が残した日記は数十冊にものぼるのだが、私はまだその一冊も読んでいない。開いたのは、この1960年の一冊が初めてだ。それでさえ、祖母に失礼になるのかもしれないと心のどこかでまだ、ひるんでいる。
◇もうひとつ、このごろ一気読みしてしまった「44歳 部長女子」「45歳 部長女子」ですが、いやはやなかなか楽しくて、よくできていて、未来に希望を持てる話です(笑)。「46歳 部長女子」という最新刊を、最初に読んでいたんですが、その最新刊で登場人物が増えて、背景も深まるほど豊かに面白くなって行ってるのも、すごいです。
ものすごく年下の恋人の青年が、優しくて素敵すぎるのは、「セックス・アンド・ザ・シティ」のサマンサの恋人だったスミス君同様、「現実にはいるわけない女性の願望」と言う人がどうせきっといるんでしょうが、これまで山ほど海ほど宇宙ほど、「現実にはいるわけない男性の願望」の女性を本で映画で見せつけられて、しょーがないから気味悪いけど半分目をつぶって鑑賞して来た身としては、そのどこが悪いまだまだ足りんという感じ。そして「現実にいるわけない女性」が死ぬほど描かれまくってたら、次第に現実にもそういう女性がじゃかじゃか生まれて来たように、その内いやもうすでにきっと、現実にこういう男性もちゃんと生まれて来ますって。現実は芸術を模倣するのよ、いつだって。
◇しかし私、これ読んでほんわかふんわかしたついでに、あらぬ甘い空想にひたったついでに、ひょっとまた妙なやつあたりでムカついちゃったんですが、年の離れた恋人の主人公たち、職場で皆に知られまいとかなり苦労するんですが、やっぱそこは東京で大都会だから、たがいの家とかマンションには割と行ったり来たりしてるんですよね。まあそれで一部バレるってとこもありはするけど。
これが私には考えられないあり得ないっていう点で、妙にキイイっとなっちゃった私も今さらバカだよねえ。でも私ここにはもう何十年も住んでいて、だから最初は30代だったんですよ。ここは、そこそこ町で田舎で、そこが私は好きだったんですが、やっぱり昔から住んでる人たちにとっては、私の年で家建てて大学の先生でというのは珍しかったんだと思う。私も地域の運動会でムカデ競争に出たりして、皆と楽しくつきあってたし、よくしてもらってたんですが、ただもう、最初から、いつも公然と「ゆうべ夜中まで起きてらっしゃいましたねえ」みたいなことを、いろんな集りの席で言われるのが普通でした。
その頃は、卒論指導で若い男子学生が家に来て徹夜したり何日も泊まりこんだりすることもよくあって、私は気にもしてなかったし、だからこそ、見られてると思っても平気でした。ある時、「つい気になって先生のお家、見ちゃうんですよお」と一人の奥様がおっしゃって、そうしたら別の奥様が「あらーあなたもー? どっこもやっぱりそうなのよねー」と笑われたことがあって、さすがにその時は私も苦笑したけど、そのまんまにしてしまいました。
どうしたらよかったっていうことはないんですけどね、今考えても。