一応、資料として
前の書きこみであげた部分は、このすぐ上にあるのですが、やっぱり不謹慎な気もして、「くわしいことは手紙で 汁(知るとかけている)」「なん船(せん)を助けた 香物(食べ物の「香の物」と、破損した船の救助活動をした功労者=「功の者」をかけている)」の部分を載せておきます。どんな感じか、つかめると思います。この部分も、ふざけすぎかもしれないのですが、当時の資料としてご理解いただければと思います。
それから、リンクしている「北窓書屋」にも、江戸の紀行作家小津久足が天災を「天罰」と表現することに怒りをぶつけた文章が紹介されています。