1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. 日記
  4. 三船敏郎「無法松の一生」も見ちゃった

三船敏郎「無法松の一生」も見ちゃった

傷めた足を直すべく通ってるマッサージ店で(もうほとんど治りました)、待ち時間に読んだ雑誌にカニカマとキャベツのスープがおいしいとあったので、カニカマのパックを買ってきた。でかいキャベツも買ってあるので、ちょうどいいと思ったのだが、ついきゅうりと混ぜてサラダにしたら、すっきりしていて、やたらおいしい。しかもパックはそこそこ量があって、その内スープも作れそうだ。しめしめ。

本物のカニはもちろん高くて手が届かないが、こんなにずっとカニカマを食べていたら、昔、子どものころ、バナナが高くて、お菓子のバナナをもらっていたもんだから、本物のバナナを食べてもおいしくなくて不機嫌だったように、その内本当のカニを食べても「どっかちがう」と不満を抱くようになりゃしないか。ちょっと悲しい。

ところで、確定申告で忙しい中、死んだ気で、「無法松の一生」の新しい版を見に行ったのを忘れてた。三船敏郎が松五郎をやってるやつ。もちろん戦後の制作で何の弾圧も制限もないから、カットされた部分もないし、カラーだから華やかだし、まあ楽しめた。

だいたいはじめからわかってたけど、三船は松五郎そのものみたいな俳優だからな、まったく何の違和感もないのが恐いぐらいの名演だ。それを名演というのもどうかと思わないでもないけどさ。

旧作で松五郎を演じた阪妻を私は特にファンだったわけでもないし、よく知らないのだけど、それまでのトーキー時代、あまりに凄艶な美貌で清々しい姿を見せていた彼が、松五郎みたいな野卑で無教養で人がいい車引きをまったく自然に演じきっているのを見ると、俳優としてはもうこれは比べ物にはならないのかもしれない。

それに何と言っても吉岡夫人の園井恵子の端正で気品あふれる美貌がなあ。もう松五郎に手の届くわけもない高嶺どころか宇宙空間の花で、だからこそ憧れるのが恐ろしいけどやめられないというのが、そくそくと胸に迫る。いくらカットをしまくられていても、残ったわずかな二人の映像からそれは伝わる。

新作では吉岡夫人は高峰秀子で、もちろんうまいし、きれいだし、かわいいし、でも園井恵子を知ってると、こっちはどうしても庶民的な愛らしさなのよ、親しみやすい未亡人の若奥さんの。これはもう、どうしようもない。演技でどうこうできる水準じゃない。

もちろんコメントとか見てると、新版の方がいいと言ってる人もいるし、これは好みの問題なのかもしれないが。

特に、園井恵子の吉岡夫人の気品と優しさを目にすると、何よりかにより、この美しい女優さんが、移動劇団「さくら隊」の一員として広島で被爆し、悲惨な死を遂げたことが重なって思い出されて、その美しさがなお胸にせまる。

私は「さくら隊」関係の本もいくつか読んだから、いやでも細かいとこまで思い出すのだけど、彼女は被爆してそこですぐ死んだのじゃないのよ。リーダーの丸山定夫はじめ仲間の皆が、それぞれに苦しんで死んだ中、彼女は無傷で、もうひとりの若い後輩の男性俳優といっしょに、かろうじて汽車にとびのって、元気で宝塚の家族同然のファンの人の家までたどりつくのよ。皆、驚いて喜んで歓迎して、二人を泊めて、その数日後からものすごい原爆症の症状が出て、ふたりとも身体中から血を流しつくし、のたうちまわって苦しんで死ぬのよ。(もう一人、仲みどりさんという女優も同じように元気で東京までだっけか戻るのだけど、同じようにその後すぐ苦しんで死ぬ。)

私って子どものころから、災害とか戦争とか、恐い話を見聞きすると、そこにいた自分が間一髪で無事に逃げる空想とかして、現実逃避してた。園井恵子が若手の後輩とともに、傷ひとつ負わず、はだしみたいにして地獄のような町を逃げ延び、汽車に乗って平和な町の親しい人の家に着いたときの、安堵感、達成感、幸福感、勝利感みたいなものが、だからひしひしわかるのよ。何て自分は運がいいのかと信じられないおののきやら、あの恐ろしい町から、夢のような別世界に移動してきている非現実感やら、もう何もかも、予想がつく。

彼女が元気な内に戦争は終わったんだっけ、まだだっけ。いずれにしても、もう終戦は近いということも予測できたろうし、亡くなった仲間たちの思いも背負って、戦後の演劇活動に、それなりの希望や抱負も抱きかけていたかもしれない。
 それなのに、放射線で破壊しつくされていた身体の内部が、突然崩壊し、現地で死んだ方がよかったぐらいの苦痛と絶望の中で、たたきこまれた暗黒の世界。

回りがなまじ平和で、優しいひとたちの中だったことが、なおさら、ましてや、いっそう苦しかったはずだ。何が夢か現実かもわからない、混乱と狂気。
 その何もかもが追体験できる気がする。吉岡夫人の典雅なつつましい挙措やもの言い、表情の中に浮かび上がる、ああ、運命はこの人に、そんな悲惨な最後を用意しているのだという思いだけで、その美しさが愛らしさが、神々しいほど尊くも見えてしまう。

原爆は許せない。それにつながる、すべてのものを。黙認し、容認し、目をそらす人も、心も、私は絶対認められない。

母が昔、近所の方々と原水爆禁止世界大会に参加したときの写真。右から三人目が母です。

Twitter Facebook
カツジ猫