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紀行全集のために(5) 「尉姥集」解説

もうあまりにも長いことほったらかして、出版社に迷惑かけまくりの「紀行全集」の解説原稿です。

もうこのまま使うかどうかわかりませんが、とにかく、この種の原稿を片っぱしからアップします。なお、まだ表記の整理もしていないのでお見苦しいですが、すみません。いずれ訂正しますが、とにかく急ぎます。(20023.3.30.)

 

 

尉姥集・解説

 

【作者と成立】

 伊奈半左衛門忠尊の家来宇田川彦六が、安永九年から天明三年まで数回にわたって、関東地方の災害による河川復旧の工事や完成後の点検に加わった折の記録を文政八年に清書したもの。内題はないが、朱で囲って、出立と帰着の日時を記す。確認できないとして明確な日時を書いていない場合もある。

 書名の尉姥は、謡曲「高砂」の老夫婦をさす。行程の最後の宿となった北大森村の名主夫婦が老人だったことによるか。

 

【主君と上役】

 宇田川彦六について詳しいことはわからない。主君伊奈忠尊は、『寛政重修諸家譜』などによれば、安永七年十五歳で父の遺跡を次ぎ、伊奈家代々が勤めた関東郡代として活躍、天明年間には関東川々普請の功績で黄金を賜り、窮民の救済にも手腕を発揮した。その後家中の不行跡などの責任を問われて免職となり、お預けとなった先の南部家で寛政六年、三十一歳で没した。伊奈家累代の功績により、家名の断絶はなく、家督は養子の忠盈が継いでいる。

彦六とともに作業に携わった役人や村落の関係者の人名も、毎回詳しく記され、仕事を命ぜられる際の事務上の齟齬や、同僚内の仕事の分担など、細かい実態がよくわかる。天明元年の普請の際に上役だった猪狩新五郎満朝が「以(もって)の外、六ヶ敷(むつかしき)御仁」なので、気をつけるようにと、御勘定場の頭取から忠告されているのもおかしい。『寛政重修諸家譜』によれば猪狩満朝はこの時の普請の功績で時服と黄金を賜り、天明六年に五十五歳で没している。

 

【地域を描く】

役人側の仕事内容について詳しいだけでなく、地域の人々との交流や、各地の文化などにも多く筆を割く。現地の人に誘われたうなぎ釣りやきのこ採りの様子は楽しげであるし、夜間の堤防決壊を修復する村人たち、そのような作業中に落命した人足についての描写は、具体的で迫力がある。

 

【書誌】

 無窮会図書館神習文庫蔵。写本二冊。青色表紙。二二・八✕一六・四cm。八行書。第一冊五十七丁、第二冊四十八丁。外題「尉姥集 天明」(第一冊)、「尉姥集 安永」(第二冊)。内題なし。同文庫の目録には「安永・天明年間、普請奉行の武総常野四国巡回」と附記がある。

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カツジ猫